○乾と坤の対立・統一(易の弁証法)
乾と坤の対立と統一が易の核心である。乾と坤が天地上下に分かれ、つらなることで易が成立するのだ。乾と坤の相互関係がなくなれば、易の働きを見ることもない。易の働きを見ることができなければ、乾と坤の相互関係も終息したも同然である。
○書き下し文(繋辞伝より作成)
乾坤はそれ易の縕(うん)か。乾坤列を成して、易その中に立つ。乾坤毀(やぶ)るれば、すなわちもって易を見ることなし。易見るべかざれば、すなわち乾坤あるいは息(や)むに近し。
※縕(うん)~核心、奥底
○乾と坤の対立・統一(易の弁証法)
乾と坤の対立と統一が易の核心である。乾と坤が天地上下に分かれ、つらなることで易が成立するのだ。乾と坤の相互関係がなくなれば、易の働きを見ることもない。易の働きを見ることができなければ、乾と坤の相互関係も終息したも同然である。
○書き下し文(繋辞伝より作成)
乾坤はそれ易の縕(うん)か。乾坤列を成して、易その中に立つ。乾坤毀(やぶ)るれば、すなわちもって易を見ることなし。易見るべかざれば、すなわち乾坤あるいは息(や)むに近し。
※縕(うん)~核心、奥底
タンポポは、キク科タンポポ属、道ばたや野原に多い雑草で、草丈は15cm、花は一般に黄色ですが、白花もあります。
生命力の強い植物で、アスファルトの裂目から生えることもあります。
立ち上がった花茎の先端にできる果実は、綿毛(冠毛)の付いた種子を作り、湿度が低いときに綿毛は風によって飛び散ります。
風に乗って飛ばされた種子は、地上に落下しても秋になるまで発芽しません。
種の保存という観点からは優れて巧妙な性質を持っています。
タンポポの花言葉は、別離、幸せ、愛の神託、神託、真心の愛
たんぽぽの綿毛は息を吹きかけると遠くへ飛んでいってしまうことから別離という花言葉が生まれたといわれています。
恋占いは、たんぽぽの綿毛を1本ずつ「好き」「嫌い」と、交互に抜いて相手の気持ちを探る方法がよく知られています。
また、一息で綿毛を吹き切れれば恋心が叶うとされることから、幸せという花言葉が生まれました。
福岡市教育委員会は2011年9月、福岡市西区の元岡古墳群で西暦570年を示すとみられる「庚寅」や「正月六日」など銘文が象嵌(ぞうがん)された鉄製の大刀が出土したと発表しています。
庚寅は、訓読みで「かのえとら」、音読みで「こういん」と読みます。
この大刀は干支や日付という暦が入った、日本で最初の使用例だそうです。
銘文は、全部で「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果練」と読むことができます。
意味は、「大いなる庚寅の年、庚寅の月1月、庚寅の日6日、およそ12回鍛錬してこの刀をつくった」となります。(高野白山訳 異説あり)
銘文作者は、
「寅の年、寅の月、寅の日というめでたい時に12回も鍛錬して造った幸運の大刀である」という意思をこめているのでしょう。
この大刀は、欽明天皇の時代、西暦では570年1月27日に完成しました。
○河図・洛書
この故に、天が筮竹や亀甲(きっこう)のような神秘を生んだことにより、聖人は、卜筮(ぼくぜい)の術を始めた。天地の変化を見ならって、聖人は陰陽の原理を抽出した。天が示す吉凶を参考に聖人は吉凶の判断を設けた。黄河から出た河図(かと)、洛水から発見された洛書(らくしょ)により、聖人は八卦をつくったのである。
○書き下し文(繋辞伝より作成)
この故に天、神物(しんぶつ)を生じて、聖人これに則(のっと)り、天地変化して、聖人 これに效(なら)い、天、象(しょう)を垂(た)れ吉凶を見(しめ)して、聖人これに象(かたど)り、河図(かと)を出し、洛書(らくしょ)を出して、聖人これに則(のっと)る。
※河図(かと)と洛書(らくしょ)
河図~神話上の天子である伏羲(ふっき)が黄河から発見した神馬の背の斑 紋を図案化したといわれている。
洛書~夏王朝の始祖である禹王が洛水(黄河支流)の治水工事中に発見した亀の甲の模様を写し取ったといわれている。
○易の根源
このため、易には陰陽以前の根源として太極(たいきょうく)が存在する。太極から陰 陽である両儀(りょうぎ)が生まれ両儀から老陽・少陽・老陰・少陰である四象(ししょう)が生じ、四象から八卦が生まれた。八卦は、吉凶を予知し、大事業を成就させるのである。
なぜ易に四象があるのか。変化を示すためである。なぜ辞(じ)は必要か。未来を告げるためである。なぜ未来に吉と凶の区別を立てるのか。人々の疑いに断をくだすためである。
○書き下し文(繋辞伝より作成)
この故に易に太極あり。これ両儀を生ず。両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業(たいぎょう)を生ず。
易に四象あるは、示すゆえんなり。辞(じ)を繋(か)くるは、告ぐるゆえんなり。これを定むるに吉凶をもってするは、断ずるゆえんなり。
○易の効用
易は何のためにつくられたのか。易は、事物を開発し、事業を成就させ、天下の道を覆(おお)い尽くす。このようなものが易である。そこで聖人は、易により人々の志に通じ、あらゆる事業を成功させ、天下の疑問に断を下すのである。
○書き下し文(繋辞伝より作成)
子曰く、それ易は何する者ぞ。それ易は物を開き務めを成し、天下の道を冒(おお)う。
斯の如きのみなるものなり。この故に聖人はもって天下の志に通じ、もって天下の業を定め、も って天下の疑いを断ず。
○筮竹本数の根拠
天と地を数字で表すと、天一地二、天三地四、天五地六、天七地八、天九地十となり、天の数字は五つ、地の数字も五つである。この五つの数字は、2種類の組み合わせをつくる。
天数の合計25と地数の合計30を合わせた、天地の数は55である。この55こそはすべての変化を形成し、鬼神陰陽の作用を遂行するゆえんである。55からきりよく端数の5を引くと50である。筮竹は、50本であり、用いるのは、太極を除いた49本である。
※2種類の組み合わせ 天~1,3,5,7,9 合計25 地~2,4,6,8,10 合計30
○書き下し文(繋辞伝より作成)
天一地二。天三地四。天五地六。天七地八。天九地十。天の数五、地の数五。五位相得
(ごいあいえ)て各々(かくかく)合うことあり。天の数二十有五。地の数三十。およ
そ天地の数五十有五。これ変化を成して鬼神(きしん)を行うゆえんなり。
大衍(だいえん)の数五十、その用四十有九。
※大衍(だいえん)の数~大いに広がる数字→筮竹の本数のこと