高野白山の九州易占塾

徒然の記

二四六会

二四六会は、ある研修で偶然に知り合った女性1人、男性5人計6人の親睦会です。
平成2年に結成されてから25年間毎年1~2回食事会をしています。
メンバーに助けられることも多く、また相談ごとを受けたりすることもあります。
出身地、年齢、性別が違う人間が集まっているのに、長い間懇親を続けていけるのは、人のご縁というほかありません。

二四六会

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繋辞上伝(その1)

易経の解説書にとどまらず、優れた思想書でもある繋辞伝は、孔子門の著作ですが、根拠がないためいつ頃だれが書いたか明確ではありません。
しかしながら、吉凶の根拠や意味そして易経の成り立ちまでしっかり書いていますので、易経を理解すのに最適の参考書です。
そのエッセンスをわかりやすく意訳しながらご紹介しましょう。

○吉凶の生じる理由
天、高くして尊く、地、低くして卑しいという現象を踏まえて、乾と坤が定められている。万物の高低、並列により、六爻の貴賤が決められている。
動あるいは静は、常時定まっていることから、剛と柔が分かれるのである。
万物が性質ごとに集まったり、種類ごとに分かれたりしていることが原因で、吉と凶が生じるのである。
天では日月星辰の現象、地では山川草木の形象となって現れることにより、陰と陽という変化の結果が表れるのである。

○書き下し文
天は、尊(たか)く、地は、卑(ひく)くして、乾坤定まる。 卑高もって、つらなり、貴賤位す。 動、静、常ありて、剛、柔、わかる。方は類をもって聚まり、物は群をもって分かれて、吉凶生ず。天に在りては象を成し、地に在りては、形を成して、変化あらわる。

ブラ高野~阿波十郎兵衛屋敷

阿波十郎兵衛屋敷は、人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」に登場する板東十郎兵衛の屋敷跡ですが、現在は、記念館として展示だけではなく、舞台実演が毎日おこなわれています。
「傾城阿波の鳴門」では、欲に目がくらんで実の娘とは知らず巡礼を殺して金品を強奪する板東十郎兵衛は、史実では阿波藩の悪事を一身に背負って処刑された忠義に厚い武士でした。
人形浄瑠璃を見ると、人間の情念、人生の因果をテーマにした真実性の荘厳さに心をうたれますが、これが歌舞伎になると、なぜかわかりませんが、炭酸の入っていないサイダーのように間が抜けたようになります。
十郎兵衛屋敷の舞台では、悲しみや喜びの所作を表現する操作法も見学でき、奥深い人形劇の世界に親しむことができます。

阿波十郎兵衛屋敷玄関
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お弓とお鶴、十郎兵衛
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薩摩のすてがまり

西暦1600年、関ヶ原の戦い終盤、島津勢は、すてがまりという戦法で退却戦に突入します。
すてがまりは、数人のしんがりが退路にあぐらをかいて座ったまま、火縄銃で敵を狙い撃ちしながら一時的に追撃を止めます。
これを何組も繰り返し、本隊を逃がしたあと、置き去りになったしんがりは、皆殺しになるという過酷な退却法です。
西軍の敗北濃厚、敵中に孤立した島津義弘は、当時66歳の高齢、足弱のため背後の急峻な伊吹山系を登ることができず、なこよか、ひっとべ(泣くより、ひっ跳べ)という諺のとおり、前面の東軍に向かって敵中突破を決意します。
火縄銃の一斉射撃のあと、わずか300人程度に減った島津勢が突撃してきたため、驚いたのは、東軍将兵です。
勝利が確定した10万人近い東軍の後詰は、事態が把握できず、この瞬間関ヶ原全体に空白の時間が流れたはずです。
眼の前を遁走する島津勢を一呼吸おいて見送る徳川軍が追撃戦を開始したのは、島津勢が伊勢街道を南下し始め、気が緩んだ頃でしょうか。
しかしながら、すてがまりの効果絶大、手勢の80人とともに島津義弘は生き残り無事薩摩に帰還できたものの、当初関ヶ原に参集したのは1,000人以上、生還率が8%に満たないという壮絶な敗戦でした。
島津家中の子孫共は、日本列島最大の内戦である明治維新を戦い抜き、関ヶ原の戦いから268年後リベンジを完了しました。

ブラ高野~福岡市文学館

福岡市中央区西中島橋たもとにある福岡市文学館は、明治42年辰野片岡建築事務所が設計、竣工しました。
この建物は、赤煉瓦文化館とも言われています。
外観の赤煉瓦、白い花崗岩の帯、ドームや小さな塔は、19世紀英国の建築様式をまねているようですが、メンテナンスも十分で立派なものです。
昭和44年、国の重要文化財に指定されたことから、福岡市が旧日本生命保険株式会社から譲り受け、現在は、福岡市に関係のある文学者を紹介する展示施設となっています。

玄関
福岡市赤レンガ文化館入り口

全景
福岡市赤煉瓦文化館 本体

ブラ高野~紫川

福智山山系を水源とする紫川は、北九州市小倉北区を貫流し北九州港に流れ込む、延長22.4km、流域面積約100㎡の二級河川です。
諸説あって由来不明のその名称に似合わず、50年前は、紫にはほど遠く、真黒に汚れ澱んだ水路でしたが、今ではアユもシロウオも遡上して、見違えるように清潔な水流となっています。
洞海湾もきれいになりましたが、特に市街地を流れる紫川の浄化は、公害撲滅に必死に取り組んだ北九州市民による環境再生の勝利を象徴するといっていいでしょう。

紫川河畔
紫川河畔

下流(北九州港へ)
紫川上流

上流(福智山系へ)
紫川下流

シュレーディンガー方程式の効用

加速度は作用力に比例し質量に反比例する、という運動方程式で物体は特定できるものの、そこに見える物体は不確実な存在であり、古典力学では対象の真実性に迫ることはできない、という認識から、1926年、オーストリアの物理学者エルビィン・シュレーディンガーが創出したシュレーディンガー方程式は、物質の正確な状態すなわち量子と呼ばれるエネルギーの分布、変化・変動を表現し、その未来への動作を確率で予測することができます。
量子力学の基礎であり、微分方程式の一つでもあるシュレーディンガー方程式には、大きく分けて時間発展に伴う態様を表す場合と時間に無関心な定常状態を示す場合の二種類があります。
その解答である波動関数をグラフにすると、空間に広がるエネルギーは、浮世絵師葛飾北斎が描く波のようなうねりであることがわかります。
シュレーディンガー方程式、というより量子力学は、眼に見える物体の様相や位置ではなく、エネルギーの濃淡や流れが世界の真実を表すのだ、と考えています。
原子爆弾やテレビのブラウン管は、この方程式に基づいて造っているといいますが、全宇宙を対象にしたエネルギーの分布・拡散状況調査は、宇宙を解読する有効な手段、いやそもそも量子の動きを再現予測するシュレーディンガー方程式なしに宇宙を記述することは不可能というべきでしょう。

※量子~原子、電子、中性子、陽子等エネルギーの種類を指す。

ブラ高野~阿波おどり

阿波おどりは、阿波の国(徳島県)を発祥とする盆踊りの一つで三味線、太鼓、笛など鳴り物にあわせて、右半身と左半身を交互に出すナンバ歩きを使って、1,2,1,2の二拍子で前進します。
男踊りは、爆発的なエネルギーによる迫力と滑稽感が持ち味で、対して女踊りは、深くかぶった編笠があやしい魅力を感じさせるという不思議な踊りです。
阿波おどりは、関東をはじめとして全国に広がり、連(れん)と呼ばれるグループ単位で参加できます。

男踊り
男踊り

女踊り
女踊り

徳島空港前
徳島空港前阿波踊り2

ブラ高野~河伯洞

北九州市若松区白山に火野葦平旧居である河伯洞という記念館があります。
河伯は、河童のことなので、河伯洞といえば河童が住む家という意味になります
火野葦平氏は、明治39年生まれ、出征中に書いた「糞尿譚」で芥川賞を受賞したことがきっかけとなり、猛烈な創作活動を始めたようです。
糞尿譚という小説は、タイトルはともかく、面白く楽しい内容です。
火野葦平氏が人間好きだったせいか、河伯洞では、今でも毎月茶話会や映画会、読書会があり、北九州市の文化活動の拠点となっています。
館内にはもう見ることのできない石炭の原石をはじめとして、港町若松を思い出させる人形などの展示物も飾られています。

河伯洞玄関
河伯洞玄関

沖中仕の人形
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石炭の原石
石炭の現物1

ブラ高野~聖橋

JR御茶ノ水駅東側から神田川にかかる聖橋(ひじりばし)は、優美な放物線を描くアーチ橋で、昭和2年(1927年)に完成しました。
聖橋の名称は、当時の東京市が公募し、神田川の北に位置する湯島聖堂(孔子廟)と南にそびえるニコライ堂(ギリシャ正教会)という二つの神聖な建築物にちなんでと命名されました。
聖橋は神田川から見上げた時に美しく見えるようにデザインされているといいますが、御茶ノ水駅のホームから見てもカーブを描いた曲線美の世界を堪能することができます。

聖橋
聖橋

 

 

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