高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~平和の門

平和の門は、天神(福岡市中央区)の西鉄グランドホテル前、交差点そばの歩道広場に設置された造形作品である。
作家の松永 真(まつなが しん)は、1940年生まれ、グラフィックデザイナー、東京藝術大学の教員である。
この作品には、環境問題をやさしく日常の意識に取り込んでいきたい、という松永 真の願いが込められているようである。
かつてはここに多く見られた放置自転車も、今では影も形もなくすっきりした空間になった。

平和の門

平和の門看板

 

 

易とは何か その19~周の文王

○周の文王
易の盛んになったのは、殷(いん)の末期か徳の盛んな周の初期であろうか。周の文王と殷の紂王の時期であろうか。文王のつくった易の言葉は、厳しいアドバイスが多いが、危(あや)ぶみ畏(おそ)れる者は安心させ、侮(あなど)る者は傾き衰えさせる意図が隠されている。この意味で、易の道は甚だ広大である。百の事態でももれなく触(ふ)れ尽くして余す所がない。畏(おそ)れ慎む心構えで終始すれば、結局咎なしとなる。これが易の道である。

○書き下し文
易の興るや、それ殷(いん)の末世、周の盛徳に当たるか。文王と紂(ちゅう)との事に当たるか。この故にその辞(じ)危(あや)うし。危(あや)ぶむ者は平(たいら)かならしめ、易(あなど)る者は傾(かたむ)かしむ。その道甚(はなは)だ大にして、百物(ひゃくぶつ)廢(すた)れず。懼(おそ)れてもって終始すれば、その要(よう)は咎(とが)なし。これをこれ易の道と謂(い)う

ブラ高野~西南学院大学博物館

西南学院大学博物館では、ユダヤ教、キリスト教関係の資料や西南学院の創立者であるC.K.ドージャーにまつわる品々を展示している。
生涯学習の場として、広く社会に開かれた大学博物館を目指し、聖書や教科書に出てきてもふだん目にすることの難しい品々を「目で見て実感」できるよう、実物はもちろん、海外にある資料の複製品も含めて所蔵している。
ちなみに西南学院の名称は、ミッションスクールとしては先行して設立された関西学院大学と東北学院大学を基準方位にして九州博多、西南の方位から名付けらたそうである。
この学校を西南学院と名付けたことにより、日本の東北から西南にかけて、キリスト教主義学校の鎖が完成することになった。

 

 

 

鉄製品のつくり方~鍛造(たんぞう)と鋳造(ちゅうぞう)

鍛造は柔らかくした鉄をたたいて成型し、鋳造はドロドロに溶かした鉄を鋳型に流し込む加工法である。どちらでも同じかたちの製品をつくることができる。
鍛造は電動ハンマーでたたきながら銅などの不純物を火花にして排出し、鉄の中の気泡をとるため、粘り強さが出てくるのである。
日本刀の鍛造は、木炭で1300度程度に熱して柔らかくした鉄のかたまりを金づちや小づちでたたきながら薄くのばして、さらに折り込んで団子状にして、またたたいて引き延ばすという作業を8回から20回繰り返す。
日本刀は細身で丈夫であるが、使いすぎると折れるというより、ぐにゃっと曲がるのである。
鋳型(いがた)にどろどろの鉄を流し込む鋳造は、残ったスカスカの気泡が強度を下げるのでもろくなり、したがって鋳造した鉄製品は折れやすく割れやすい。ただし、鋳造は、大量生産しやすい利点がある。

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