高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

立春への疑問 その2

⑴ 太陰太陽暦
太陰暦の1箇月を1朔望月と呼び、1朔望月は約29.5日なので、12朔望月(1年間)は、約354日となる。
そこで太陰暦をつくる場合は、30日ある月(大の月)を6個、29日しかない月(小の月)を6個設けることになる。
そうすると、
30日×6個=180日
29日×6個=174日
180日と174日の合計で、ちょうど354日である。
ところが、月の満ち欠けを基にした太陰暦は、比較的容易に作成でき、月の形さえ見れば日にちの見当がつくという便利な半面、太陽の動きを反映していないので、種まきや収穫の時期がわからず、季節感や生活実感とも違って使い勝手が悪いので、これを補正した暦を太陰太陽暦という。
太陰太陽暦は、太陰暦の一種である。
補正の方法は、三つあって、一つは閏月(うるうづき)の設置、二つ目は二十四節気(にじゅうしせっき)の導入、三つ目は雑節による補完である。

⑵ 閏月(うるうづき)の設置
上述のとおり、太陰暦の1年分は354日(29.5日×12月)なので、地球が太陽の周りを一周する365日に年間で11日足りず、3年で33日分のズレが生じることになる。観測の結果、太陽暦で19年たつと、月と太陽の周期が一致することが判明している。
では、太陽暦の19年は、太陰暦で換算すると、何年になるのだろうか。
計算の結果、太陰暦に換算した場合、19年で7月足りないのである。

太陽暦では4年に1回閏年を置くが、太陰太陽暦では、19年間のうち7月分の閏月を加えて太陽の動きに暦を合わせる、という段取りになるのである。
実例をみると、天保三年(西暦1832年)壬辰暦では、大の月、小の月及び閏月は、11月に閏月として大の月(30日間)を追加しているので、1年間が13か月あり、日数も30日間増えて384日となる。
(立春への疑問 その3へ続く)

ブラ高野~眉山ロープウェイ

眉山ロープウェイ(びざんロープウェイ)は、1957年12月に開業した、眉山(標高290m)にある徳島市営のロープウェイである。
現在のゴンドラは使用されてから24年になるが、15人乗りの2両連結式となっており、1号車から4号車まで4両が在籍している。
座席はすべて折りたたみ式となっている。夜間運転時にはライトアップが行われる。

眉山ロープウェイのゴンドラ

立春への疑問 その1

九星気学による運勢判定の1年間は、立春(ほぼ2月4日)から始まり翌年の2月3日までであるが、立春とはよく聞くものの、春が始まるのになぜ寒いのか、わかったようで明確に説明できない概念である。本資料は、立春の概念を調査した結果報告である。
真冬の真只中なのになぜ立春というのか。太陰暦は、なぜ季節感がずれているのか。
忠臣蔵の討ち入りは、太陰暦で12月14日(西暦1703年)であるが、現在の太陽暦では1月30日となり、300年前とは約1月半のずれがある。
易経の19番目である地澤臨の8月は、太陽暦換算で9月か10月である。
地澤臨
臨は、元いに亨りて貞しきに利ろし。八月に至れば凶有らん。

太陰暦の基礎的な仕組みは次の通りである。
(1) キーワード
太陰とは、月のことをいう。
太陰暦は、月の満ち欠けを基につくられた暦であるが、太陰暦を理解するキーワードは、月の満ち欠けが一巡する29.5日という数字と朔(さく)、望(ぼう)、晦(つごもり)という闇夜や月夜を意味する名称である。
太陰暦では、毎月の初日は全く月が見えず、月の見えないこの状態を朔(さく)といい、
毎月の1日を「朔日」とも呼び、八朔といえば、8月1日のことを指しているが、八朔という夏ミカンの名称は太陰暦に由来しているのである。
快晴の夜でも月が見えない日を毎月の1日と設定するのである。
この時の見えない月をなぜか「新月」というものの、ネオンサインはおろか電灯もない時代は深い闇に包まれたまま真っ暗な長い夜が続いた。
明智光秀が織田信長を討ち取った本能寺の変は、天正10年6月1日(西暦1582年6月20日)の夜であった。
この日は太陰暦の1日なので、新月すなわち月がない闇夜であった、暗殺の計画性は歴然としていたのである。

月の運行を見ると、満月になるまで15日間かかるので、満月が出る日を毎月の15日に設定する。
夜空を見上げて、満月が出ていると、この日は、太陰暦でいうと必ず15日になる。夜は、中天に輝く月が煌々と光を放ち周囲を真昼のように明るくするが、この明るい夜を招く満月の状態を望(ぼう)という。
日本の行方を決定し、世界史にも影響した関ヶ原の戦いー日本年号の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)の夜は、雨や曇りでなければ、15日なので日本各地で満月が出ていたことがわかる。もっとも関ヶ原周辺は、夕方から雨模様だったようである。
晦(つごもり、かい)は、くらます、わかりにくい、という意味である。
月末(30日か29日)になれば、月は再度見えなくなる。これを晦(つごもり)といいまたは、みそかとも読むが、今でも年の終わり12月の31日を大晦日(おおみそか、おおつごもり)というのは、太陰暦の名残りである。
(立春への疑問 その2へ続く)

ブラ高野~南瓜

福岡市美術館所蔵の南瓜は、造形作家の草間 彌生(くさま やよい、1929年生まれ)の作品である。
この人は、総合失調症で幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、絵を書き始めた、という。
かつては前衛の女王とも呼ばれていた。
南瓜をモチーフにした作品も数多い。

南瓜(福岡市美術館所蔵)

八朔とは

八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、旧暦の8月1日を意味している。
新暦も旧暦も峻別せずに使うため、テレビニュースでは今日の新暦8月1日が八朔である、と謝って伝えるのである。
新暦では八朔は毎年8月25日頃から9月23日頃までを移動するが、令和5年では9月15日が八朔となる。

また八朔は、ある種のみかんの名称でもある。江戸時代に広島県で見された品種だそうである。

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