高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~弁財天上陸場

弁財天上陸場(べんざいてんじょうりくば)は、洞海湾でごんぞうと呼ばれた冲仲士が小舟から石炭を担いで上陸したり、貯炭場から石炭を小舟に移し替えたりする階段施設で、1917年(大正6年)、当時の若松市が建設したものである。
石段の左右にある常夜灯は、同じころ地元の商店主等によって建立された。

その後、昭和30年以降は使用されなくなったが、平成8年に一部補修を施して、ほぼ当時のままの姿に復元された。
日本一の石炭積出港として栄えた若松港の歴史を今に伝えている。

弁財天上陸場

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