高野白山の九州易占塾

徒然の記

優れた意訳の実例~川島雄三監督の場合

映画「幕末太陽傳」で知られる川島雄三監督(1918年~1963年)の見事な意訳を紹介しよう。
川島雄三監督の訳詩は、読みにくく小難しいだけの平凡な漢詩を、日本語を使ってアナ―キーで享楽的、虚無性や無常観をたっぷり表現して余すところなく、まるでいろは歌を読んでいるような、しかしはるかに激しく情感を揺さぶるのである。

「にんげんねもなくへたもない みちにさまようちりあくた」という無常観は、読み手として共感できる部分かもしれない。

原詩の書き下し文と川島雄三監督の意訳を読み比べると、優劣は一目瞭然である。

雑詩其の一   ~陶淵明
人生 根蔕(こんたい)なく
飄(ひょう)として陌上(ひゃくじょう)の塵(ちり)の如し
分散し風を逐(お)って轉(てん)じ
此れ已に常の身に非(あら)ず
地に落ちては兄弟と爲(な)る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
歡(かん)を得なば當(まさ)に樂しみを作(な)すべし
斗酒(としゅ) 比鄰(ひりん)を聚(あつ)めよ
盛年 重ねては來たらず
一日 再びは晨(あした)なりがたし
時に及んで當に勉勵(べんれい)すべし
歳月 人を待たず
※読みがなは、白山が追加した。

以下、川島雄三監督の意訳である。
にんげんねもなくへたもない
みちにさまようちりあくた
ときのながれにみをまかすだけ
しょせんこのみはつねならず
おなじこのよにうまれりゃきょうだい
えにしはおやよりふかいのだ
うれしいときにはよろこんで
ともだちあつめてのもうじゃないか
わかいときはにどとはこない
あさがいちにちにどないように
いきてるうちがはなではないか
さいげつひとをまたないぜ

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