高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~祖原古戦場跡

1274年10月、元と高麗の連合軍は、博多湾岸の今津浜、百道浜に上陸し、祖原、鳥飼、赤坂一帯は鎌倉武士団との戦場となった。
九州の御家人を指揮した少弐景資(しょうに かげすけ)や肥後菊池の豪族菊池武房(きくち たけふさ)、蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)で有名な竹崎季長らが戦いに参加した。

この時、激戦場のひとつとなったのが元と高麗の連合軍が陣をしき、福岡市早良区百道浜の後背地である麁原山(そはらやま、標高33m)である。
現在は、公園として整備され清掃も行き届いているものの、360度周辺を見渡すことができる丘の頂(いただき)に立つと、古戦場独特の、うら寂しいような荒涼とした風景が広がって見えるだけである。

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