高野白山の九州易占塾

徒然の記

二代目の辛さ

今から約1800年前、諸葛亮孔明は、現在の中国河南省南陽で無位無官、晴耕雨読の日々を送っていました。

この人は、学者肌の野心家ですが、文人サロンを根城に街中に自分の評判を撒き散らして、劉備の誘いを待つところは、なんだか弘法大師のケレン味を思わせます。

ただ、いやらしさが感じられないのは、人格の高潔さ、志の高さによるものです。

漢王朝の復興を目指して、パートナーとして劉備を選んだだけで、私欲がないことは、中国大陸では、奇跡的に珍しい存在と言っていいほどです。

出師の表では、二代目の劉禅に対して、
「則ち、漢室の隆んなること、日を測りて待つ可きなり。」と書いています。

意味は、
「そうすれば、漢室の隆盛は、日を数えて待つばかりとなるでしょう。」

出師の表は、何やらこむづかしい漢字が並んでいますが、内容は単純で、二代目である劉禅への説教と北伐への決意表明です。

出師の表の最後に、
「臣、恩を受けて感激に勝えず、今、遠く離るるに当たり、表に臨んで涕泣す。云う所を知らず」とあります。

意味は、
「私は、恩を受けて感激に耐えることができず、今、遠く離れようとするにあたり、この上奏文を前にして、激しく涙を流しています。語るべき言葉がありません。」

世界史に残るような名文を書く人物を臣下とした、平凡、というより暗愚に近い二代目君主の辛さに対して、同情するほかありません。

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