高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

予定調和の世界

今から413年前、西暦1600年、石田治部少輔三成は、関ヶ原の戦いで笹尾山に陣取り、「大一大万大吉」の旗印を立てて奮戦しましたが、小早川秀秋の裏切りが直接の原因で敗北し、斬首されました。

「大一大万大吉」は、一人が万人のため、万人は一人のため尽力すれば天下大吉、という意味だそうです。

「大」「一」「万」などという吉のパワーが強い文字を六つも書いた旗印で出陣すると、次の局面では激しい揺り戻しが凶を呼び込む、という見本のような事例です。

変化と反変化の循環作用により、振り子のようにバランスをとる力が吉から凶へ、また凶から吉へと繰り返しかつ絶え間なく働き、神とか宇宙とかややこしいことを言わなくても、事態は、予定調和の世界を目指して収束していくのです。

天下大吉という気持ちはわかりますが、戦闘に臨んでこの旗印は不吉というほかありません。

それにしても負け方が悪い、五分の引き分けは無理でももう少しまともな負け方があるだろう、と思うものの、先人の奮闘に敬意を表して評価は控えなければなりません。

石田三成公の旗印
image[2]

TOPページ

ページの先頭へ