高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~鴻臚館

鴻臚館(こうろかん)は、7世紀後半平安時代の博多に設置されてから約400年間、外交・文化・貿易を促進するための宿泊施設で、京都の朝廷から遠の朝廷(とおのみかど)といわれていた太宰府の出先機関です。
今ではわかりにくくなっていますが、太宰府への直線道路が開通していたそうです。

当時は、目の前に博多湾の砂浜があったはずです。
この名称は中国古代の鴻臚寺に由来し、鴻は大きい、臚は伝える、寺は役所、という意味だそうです。
展示館は、平成7年に完成し、公開されています。

鴻臚館の位置は、昭和62年12月、平和台球場改修工事に伴う発掘調査で福岡城の跡と判明しました。
塀、門、トイレなどの跡に線を引いて、遺構をわかりやすく展示しています。

展示館看板

出土品(中国製陶器花瓶)

出土品(中国製陶器枕)

塀の跡〈丸い部分は柱の跡)

トイレの跡

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