真摯な宗教者ほど狂気の行動をとることがあります。
実例をご紹介しましょう。
常不軽菩薩は、「じょうふきょうぼさつ」と読みます。
菩薩は、サンスクリットでボーディ・サットバといい、自ら修行する身でありながら、人々への慈悲と救済の誓願を持っています。
今から2000年ほど前、インド北部に大乗にも小乗にも納得しない狂信者集団があり、常不軽は、その集団に関係する修行者の一人と考えてまず間違いありません。
引き込まれていきそうな、妖しい魅力に包まれた法華経のうち、20番目に出てくる常不軽菩薩品(常不軽菩薩の章)で、「常に軽蔑された男」として、そのエピソードが書かれています。
殴られても、蹴られても、石を投げられても、「我あえて汝等を軽しめず。汝等は皆まさに仏となるべきが故なり。」といって、見ず知らずの人間の仏性を礼拝してまわった人物で、宮沢 賢治の「雨ニモマケズ」のモデルといわれています。
時々は経典を読んでいたそうですが、ほんとうは文字が読めなかったのではないか、読誦できないため人を礼拝していたのではないか、とみています。
信仰者の鑑のような人物ですが、しかしながらオウム真理教の麻原 彰晃との差は、紙一重しかないといわねばなりません。