高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~遠野物語の世界(平地人を戦慄せしめよ)

遠野物語の舞台となった遠野郷は、地図で見る限りどうということはない、奥州岩手県の内陸部にあります。
遠野物語は、物語というタイトルがついていますが、柳田国男が明治42年に村人の体験や伝聞(でんぶん)を聴き留め、ムダのない簡潔な文語体で書き下したノンフィクッションです。
これらの話は、あいまいな民話や伝説ではなく、当時実際にあった出来事を集めたものであるため、地名や人名、山名が明記されています。

柳田国男は、遠野物語の序文で次のように述べています。(一部抜粋)
「国内の山村にして遠野より更に物深きところには又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」

四方を海に囲まれているとはいえ、バイキングのように竜骨構造の遠洋航海船を持たなかった日本は国土の70%を山地が占める山岳国です。
柳田国男にとっても遠野郷の人々にとっても、山人(さんじん)も妖怪も想像の産物ではなく実在であったに違いないのは、山女(やまおんな)に遭(あ)った時の恐怖が原因で病気になり死んでしまったという吉兵衛のエピソードを読めばうなずけます。

以下は3番目に収録されている「笹原の山女」という話です。
「山口村の吉兵衛という家の主人、根子立(ねっこだち)という山に入り、笹を苅(か)りて束(たば)となし担(にな)ぎて立上らんとする時、笹原の上を風の吹き渡るに心づきて見れば、奥の方なる林の中より若き女の穉児(おさなご)を負いたるが笹原の上を歩みて此方へ来るなり。きわめてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂れたり。児を結(ゆ)いつけたる紐(ひも)は藤の蔓(つる)にて、着たる衣類は世の常の縞物(しまもの)なれど、裾(すそ)のあたりぼろぼろに破れたるを、いろいろの木の葉などを添えて綴(つづ)りたり。足は地に着つくとも覚えず。事なげに此方に近より、男のすぐ前を通りて何方(いずかた)へか行き過ぎたり。この人はその折の怖ろしさより煩(わず)らい始めて、久しく病(やみ)てありしが、近きころ亡(う)せたり」

意味は、
「山口村の吉兵衛という一家の主人が根子立(ねっこだち)という山に入り、笹を刈(か)って束(たば)にし、担(にな)って立ち上がろうとするとき、笹原の上を風が吹き渡るのに気づいて見れば、奥の方の林の中から、幼子をおぶった若い女が笹原の上を歩いてこちらへやって来る。なんとも艶(あで)やかな女で、長い黒髪を垂れていた。子を結った負い紐(ひも)は藤の蔓(つる)で、着ている衣類はよくある縞物(しまもの)だが、裾のあたりのぼろぼろに破れたところへさまざまな木の葉などを当てて繕っていた。足は地に着いているようにも思えない。事もなげにこちらに近づき、男のすぐ前を通ってどこかへ去っていった。この人は、そのときの怖ろしさから煩(わずら)いはじめ、久しく病(や)んでいたが、最近死んでしまった」

※戦慄(せんりつ)~恐ろしくて震えおののくこと
※読みがなは当方追加

家相学とは

家相学は、方位の理論を応用して、主に家の張りと欠け、向きや水回りの場所等について吉凶判断し、家から受ける正負のエネルギーを解明する研究です。
先天図と後天図及び後天定位盤に基づき理論づけ、易や九星気学の成果を取り入れた家の吉凶禍福論です。
家の影響は、張りは住人のパワーが増すとともに、外部の支援など対外的な吉作用も期待できますが、欠けは住人の力を弱め外部からの侵害というマイナス作用があります。

家の怖さは、Ⅰサイクル20年住まなければ影響がはっきりしないことです。
平凡に生活していると、その家で生まれた子供が成人になってようやく吉凶が明瞭になってくるため、注意深く観て、いい家かどうか5年単位で生活を振り返り吉凶を感じ取る必要があります。
最初の5年は張り(プラス 陽)、次の5年は欠け(マイナス 陰)の影響が出る、と思っていいのですが、早ければ3年で一家離散の悲劇が起こった事例もあります。

ブラ高野~ツツジ満開

満開のツツジが朝露に輝きながら赤や白、ピンクの花をつけて、甘い香りを漂わせています。
ツツジは、ツツジ科ツツジ属の植物の総称で、4月の春先から晩春にかけて咲かせた漏斗(じょうご)のような五弁の花で街を飾ります。
この花は、福岡県の県花にもなっています。

ツツジの花言葉である節制は、タロットでいえば、カード№14を指しています。
節制のカードは絵柄が平凡ですが、意味を読み取るのが難しいのが特徴です。

カードに描かれた二つの壺は、男性性と女性性、陰と陽、火と水、過去と未来、意識と無意識を象徴していますが、同時に大天使ミカエルは、相反(そうはん)するもの同士を結びつける仲介者として描かれ、衣服や頭部の配色は、赤と青のどちらにも偏(かたよ)ることなく公平な立場にいることを示しています。
このカードは、正位置では、順風満帆や純愛、逆位置では、ムダや薄れた愛情を暗示します。

朝露に光るツツジ

タロットカード№14節制

鹿卜(ろくぼく)と亀卜(きぼく)

牡鹿の肩甲骨を火であぶって水で冷やすとできる、ヒビの吉凶を読み取る占いを鹿卜(ろくぼく)といいます。
鹿卜の記録は、古事記に次のように残っています。

※          ※           ※
「天児屋命(あめのこやねのみこと)、布刀玉命(ふとだまのみこと)を召して、天の香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天の香山の波波迦(ははか)を取りて、占合(うらな)ひ麻迦那波(まかなは)しめて」

意味は、
「天児屋命が布刀玉命に命じて、天の香山に産する木の皮をとってきて燃料として、牡鹿の肩の骨を炙り、ヒビの入り具合で吉凶を占わせ」

※          ※           ※
亀の腹の甲を使う場合は、亀卜(きぼく)といいます。

※天児屋命~中臣氏の一族  ※真男鹿の肩~牡鹿の肩甲骨
※波波迦~ハハカという木の皮  ※読みがなは当方追加

ブラ高野~知られざる偉人

現在天然痘ウイルスは自然界に存在しないといわれていますが、天然痘の予防法は、人間のかさぶたを粉末にして接種する人痘種痘法(じんとうしゅとうほう)と牛のかさぶたを使う牛痘種痘法(ぎゅうとうしゅとうほう)があります。

秋月藩(福岡県朝倉市)の藩医であった緒方春朔(おがたしゅんさく)は、1790年、天然痘患者から採取したかさぶたの粉末を鼻から吸い込ませて免疫をつくりだす人痘種痘法を世界で初めて成功させ、マニュアルを公開したことで人痘種痘法が全国に広がるきっかけをつくりました。

接種第1号となった子供は2日後に軽く発症しましたが、10日程度でもとどおり健康を回復したことにより、天然痘の予防法が確立しました。
日本各地から入門希望者が殺到したといいます。

これは、エドワード・ジェンナーの牛痘種痘法成功より6年早い時期でした。
今の世では知られていませんが、人痘種痘法であれ牛痘種痘法であれ、世界で最初に種痘法を開発した名誉と栄光は、緒方春朔先生に帰属するといわなければならないでしょう。

種痘発祥の記念碑(福岡県朝倉市秋月)

顕彰碑(福岡県朝倉市秋月)

 

 

家相~三角形の家

三角形の家に住むとどうなるか。
綿密な取材と検証作業を積み重ねて書かれた、日本怪異文学の白眉(はくび)というべき「新耳袋」の第六夜第四十九話から一部抜粋して紹介しましょう。
話のタイトルは、「三角形の家」といいます。

※         ※         ※
「ある人のおじさんが三角形の家に住んでいた。今思うと、その土地がよくなかったのではという。川と道に挟まれた関係で、その土地の形は三角だった。正確にはわずかに台形だったらしいが、この人は土地を有効に使おうと、土地の形いっぱいを使って三角形の家を建てた。
ある時期から、そのおじさんが昼間から玄関の前の段にぽつんと座って、道往く人をぼーっと眺めているのを近所の人が見るようになった。これが毎日となるとさすがにみんなは気味悪がった。ひとり暮らしの寂しさか何かで頭がボケたのではないかと噂も立った。
注意してもらおうとでもしたのか、町内の誰かが警察を呼んだ。
・・・(中略)・・・
部屋には遺体があった。
死後何週間がたっていた。夏だったこともあり、ものすごい異臭を漂わせる真っ黒い塊と化していた。
変死だったので詳しく調べられた。死因は胃潰瘍。大量の血を吐いていた。隣の部屋の鴨居には紐が吊るしてあったので、どうやら自殺をしようとしたがその前に体力が尽きたらしい」

※         ※         ※
星回りがいい時に凶事が続く場合は、住宅や屋根の形、欠けや吹き抜けなど家相を疑わなければならないことがあります。

※新耳袋~木原浩勝、中山市朗共著、1990年発刊
※白眉(はくび)~多くの中で抜群に優れているもの

 

ブラ高野~木馬館

木馬館(もくばかん)は、東京は浅草、浅草寺の西側、奥山おまいりまち町通りにある、明治時代から続く演劇場です。
建物の周りには派手なのぼりが勢いよく立ち、ファンと役者が記念写真を撮ったりして、ふれあいを大事にする下町の雰囲気を味わうことができます。

地方の芝居小屋が衰退していく中で、木馬館は熱心な浅草ファンにより存続してきましたが、庶民のための日本の伝統的文化でもあり、長く引き継いでいってほしいものです。
演目メニューは人情劇に時代劇、タップダンスもあり、リーズナブルな入場料で楽しむことができます。

木馬館のⅠ階は、浪曲の定席で、木馬亭といいます。

木馬館

各種占術の特徴

●易は、出処進退についての吉凶判定であり、タロットの特徴は、過去も現在も未来も明確に告知することです。易もタロットもシンクロニシティを活用した占いです。

●九星気学の運勢判定を活用すると、例えば事業立ち上げの時期を決めることができるし、人間関係の吉凶を教える相性判断は、特に相克の場合に相手の本音がわかります。また九星気学による性格判断も人物認識の優れた手法です。

●文字の画数により吉凶を探る姓名判断では、例外はあるものの吉祥名をもっている人は、幸運な生活を送ると言われています。

●人相や手相は、運勢や宿命がそのまま色や明るさとなって現れるので、常識の累積である相学を学ぶと人の眼差しや姿の良否を感じとることができるようになります。

●家相では、プラスエネルギーの張りとマイナスエネルギーの欠けをみるのが重要で、かつ難しく、張り・欠けがわからないような凸凹の多い家や変形の家に住むと、不幸から逃れられないでしょう。

ブラ高野〜博多塀

博多塀(はかたべい)は、豊臣秀吉が博多で進めた都市計画当時建てられた土塀で、一般的な築地塀と違って戦火による焼け石や焼け瓦を塗り込めた、廃材利用のリサイクル土塀です。

戦国時代の博多は、一時期戦災で焼け野原になっていましたが、豊臣秀吉の都市計画である大閤町割りにより繁栄を取り戻し、以来博多塀は、博多復興の記念碑として復元され櫛田神社や聖福寺で見ることができます。

土の特性

五行のうち、あい反する停滞と変化が同時に起こるのが土(ど)の特性です。土の作用と書いて土用といいますが、旧暦で生活していた人々の習慣を調べると、陰と陽が同時に作用する土の怖さを意識していたことがわかります。

四季直前の18日間に設定された土用は、体力、抵抗力をつけるための注意喚起の期間でもあり、昔の人は、土用を乗り切ってようやく新しい季節を迎えることができる、と考えていたのでしょう。

TOPページ

ページの先頭へ