毎年梅雨の時期になると、アジサイの青い花に眼が行きます。
アジサイの面白さは、同じ青色でも、水色に近い薄い青やほとんど紫色に近い青があることです。
アジサイは土の酸性度によって花の色が変わり、酸性なら青、アルカリ性なら赤になるといわれています。
酸性とアルカリ性が程良く混じった土であれば紫色になるのでしょう。
英語のblueは、青いという意味のほかに憂欝とか悲観という意味がありますが、けなげに咲くアジサイの青い花には、なるほど曇天と雨もようがよく似合っているようです。
北九州市小倉北区にある小倉城は、徳川幕府の譜代大名である小笠原家15万石の居城で、別名勝山城ともいい、東を流れる紫川を天然の濠にして防御を固め、本丸を中心に、南に松丸、北に北の丸、それらを囲い込むように二の丸、三の丸、外郭が配置されていました。
野面積みの石垣の上に大天守と小天守、平櫓、二重櫓、櫓門、鉄砲を撃つための狭間が3,000箇所以上もあり、15万石にしては大規模な城郭だったようです。
野面積み(のづらづみ)で造られた石垣の一部が残っていますが、野面積みは、自然石をほとんど加工せずそのまま積みあげる工法で、隙間ができるので雨水を無理なく排出し、また地震波も吸収することができて、見た目以上に頑丈で長持ちします。
死海の北方約100km先にあるガリラヤ湖畔で天才的なアジテーターでもあるナザレのイエスから、私についてくれば人間をとる漁師にしてあげよう、と言われたシモンとアンドレという漁師の兄弟はその場で弟子になったそうです。
新約聖書(新共同訳、日本聖書協会)のマルコ福音書では、イエスは処刑されて葬られた後、生き返って3回にわたってその姿を見せた、と書いています。
まずは、マグダラのマリヤ、次に二人の弟子、さらに十一人の弟子の前に現れたそうです。
1回目は、「イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリヤに御自身を現された。」(原文から抜粋)
マグダラのマリヤは、悲しんでいる人々のところへ行って、このことを知らせましたが、人々は、信じませんでした。
2回目は、「彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。」(原文から抜粋)
この二人も人々に知らせましたが、誰も信じようとはしませんでした。
3回目は、「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」(原文から抜粋)
ここでイエスは、全世界に福音をつたえよ、と弟子たちを叱咤激励したあと、天に上がっていったといいます。
ナザレのイエスは生き返ったのだ、と信じる人々をクリスチャンと呼びます。
ローマ・カトリック教会に美しさを感じるのは、ローマ教皇以下聖職者たちが、内包されたカルト性と必死に戦っている姿が印象に残るからでしょう。
洋の東西を問わず、宗派を問わず、古来優れた宗教者は、苦しみながらも毅然としてカルト性と対峙する姿勢を崩さないのはなぜでしょうか。
物事には原因があるから結果があるのだ、という因果律の反対語を偶然性といいます。
偶然は、原因とは無関係に発生する現象でもあります。
世界は、偶然性ではなく、因果律で動いているというヒンズーや仏教の教えは、ほんとうでしょうか。
そこで、宇宙全体ではとりとめがないので、逆に焦点を絞って素粒子の世界に因果律の手がかりがあるのか探してみることにしましょう。
大きさ一万兆分の1cmの素粒子は、液体、固体、気体という概念に該当しない、微妙に揺れる波動ということがわかっています。
世界が素粒子で満ちているとすると、驚くことに世界の実体は、ただの波動の集合体ということになります。
ここでは、宇宙発生の原因など見あたらず、荒涼とした無機質の空間が広がっているだけです。
さらに原子核をみると、マイナス電気を持つ陽子と電気自体を帯びていない中性子から成り、したがって原子核には、中間子の接着機能があるにせよ、プラスとマイナスの対称性さえなく、ここにも因果律が入り込む余地はありません。
断定はできませんが、素粒子や原子核をみるかぎり因果律のサインも暗示もありません。
因果律といえば何となく納得して聞こえはいいのですが、根拠がみえないだけにむやみに思い込まないほうがよさそうです。
因果は巡る糸車、ではなく、過去、現在、未来を貫いて、発生も消滅も単なる偶然なのだ、とシンプルに考えたほうがいいかもしれません。
※因果律~原因が結果を生み、その結果が別の原因を呼び込むという、原因と結果に着目した認識方法
※偶然性~現象には原因がなく、結果は、時間と空間に無関係に発生する現象であるという見方
東京都台東区浅草の伝法院は、浅草寺の敷地にある塔頭で、伝法院南側の通りを伝法院通りといいます。
この通りは東西約200m程度しかありませんが、歩いて楽しむストリート景観が広がっています。
屋根の上を見ると、片膝を立てた白波五人男の一人弁天小僧菊之助や千両箱を運び出す途中の鼠小僧次郎吉、路上には白波五人男の首領日本駄右衛門の人形が生きているように飾られています。
壁面には、火の見櫓も設置され、遊び心充分というところでしょうか。
日本文学史に燦然と輝く名セリフ、弁天小僧菊之助の啖呵(河竹黙阿弥作)をご紹介しましょう。
七五調の口上が終わると、娘姿から片肌をぬぎ大あぐらをかいて開き直ります。
※ ※
「知らざあ言って 聞かせやしょう
浜の真砂と 五右衛門が
歌に残せし 盗人(ぬすっと)の
種は尽きねぇ 七里ヶ浜
その白浪の 夜働き
以前を言やぁ江ノ島 で
年季勤めの 児ヶ淵(ちごがふち)
江戸の百味講(ひゃくみ)の 蒔銭(まきせん)を
当てに小皿の 一文字
百が二百と 賽銭の
くすね銭せぇ だんだんに
悪事はのぼる 上の宮(かみのみや)
岩本院で 講中の
枕捜しも 度重なり
お手長講と 札付きに
とうとう島を 追い出され
それから若衆(わかしゅ)の美人局(つつもたせ)
ここやかしこの 寺島で
小耳に聞いた 祖父(じい)さんの
似ぬ声色(こわいろ)で 小ゆすりかたり
名せぇ由縁(ゆかり)の 弁天小僧
菊之助たぁ 俺がことだ」
九星の種類は、一白水星(いっぱくすいせい)、二黒土星(じこうどせい)、三碧木星(さんぺきもくせい)、四緑木星(しろくもくせい)、五黄土星(ごおうどせい)、六白金星(ろっぱくきんせい)、七赤金星(しちせききんせい)、八白土星(はっぱくどせい)、九紫火星(きゅうしかせい)の九つがあります。
九星の定位置を表す標準盤の方位は、以下のようになります。
一白水星~北
二黒土星~西南
三碧木星~東
四緑木星~東南
五黄土星~中央
六白金星~西北
七赤金星~西
八白土星~東北
九紫火星~南
九つの星は、毎年、毎月、毎日、毎刻一定の法則に従ってぐるぐる廻り、それぞれが10回目にもとの定位置に戻りますが、方位の吉凶や運勢の変転、はては人間の性格や相性まで決めていく、といいます。
九星標準盤では、北の一白水星、南の九紫火星、東北(鬼門)の八白土星が重要ですが、定位置は、九星術の理解には欠かせませんので、暗記法があります。
暗記法は、西南(左下)の二黒土星から「憎しと思えば七五三、六一坊主に蜂が刺す」