博多駅の博多口にイギリスの彫刻家ヘンリー・ムーアの「着衣の横たわる母と子」という彫刻が設置されています。
母の慈愛と子供の優しさを象徴するような曲線美あふれた作品です。
「母と子」をテーマにしてヘンリームーアは多くの作品を残していますが、博多駅前の作品もその一つです。
彫刻の下に、これは福岡市政100周年を記念し、市民の浄財によって設置されたという趣旨の案内板がたっています。
徒然の記
ブラ高野~着衣の横たわる母と子
鎮魂の平家物語~「耳なし芳一のはなし」から
琵琶(びわ)という楽器は、今から約1300年前、中央アジアを貫通するシルクロードを通って中国大陸経由で日本へ伝来したといいますが、この地では琵琶法師と呼ばれた吟遊詩人が平家物語や仏教説話に節(ふし)をつけて語る時に伴奏楽器として利用されました。
琵琶のエピソードと言えば、ラフカディオ・ハーンが創作した話の中で耳なし芳一は、平家物語を語りながら琵琶を打ち鳴らし、ご幼少であらせられた安徳天皇、建礼門院をはじめとして、壇ノ浦で滅亡した平家一門を鎮魂したのは、敗北した人々の魂を崇め奉りタタリを封印し、善神へ転換するための怨霊信仰(おんりょうしんこう)と言葉が超自然的なパワーを持つという言霊信仰(ことだましんこう)の事例といっていいでしょう。
平家物語はなぜ書かれたのか?滅亡した平家一門を鎮魂するためである、という井沢元彦先生の主張は強い説得力を持っています。
生き方を探る仏教やキリスト教、天地の清らかさを追求する神道さえ社会の上部構造であり、日本列島の土俗文化といっていいほど強烈な怨霊信仰や言霊信仰をバックボーンに、ラフカディオ・ハーンは、敗者へのいたわりを「耳なし芳一のはなし」という短編でわかりやすく描いています。
確固とした経典があるわけでもないのに、キリスト教文明圏で生まれ育ったヨーロッパ人になぜ怨霊信仰が理解できたのか不思議でなりません。
芳一が武者どもの奮戦ぶりを褒めたたえて、平家の怨霊を供養する下りを「耳なし芳一のはなし」から抜粋してご紹介しましょう。
※ ※ ※ ※
『なかなか全部を、かたるわけにはまいりませんが、どの段をかたれと、ご所望でございましょうか』
「女の声がこたえた」
『壇ノ浦の合戦のくだりをかたるようにーそこがひとしお、哀れの深いところでありまするから』
「そこで芳一は、声を張りあげて、悲痛な船いくさのくだりをうたったー櫂をあやつる音、船のつきすすむ音、風を切って飛ぶ矢の音、人びとのおたけびや足を踏みならす音、甲冑に太刀のぶちあたる音、斬られて海中に落ちる音など、驚くほどたくみに、琵琶をひき鳴らした。すると弾奏のあいまあいまに、左右でささやく、賞賛の声が聞こえた。
『なんというすばらしい琵琶法師であろう』
『国許では、こんな琵琶は聞いたことがない!』
『日本ひろしといえども、芳一ほどのうたい手はまたとあるまい!』
すると、あらたな力が湧きおこり、芳一はますますたくみに、弾き、かつかたりつづけた。
そして、感嘆のあまり、あたりはひっそり静まりかえった」
(小泉八雲集 上田和夫訳)
暦を読み解く その8~十方暮れ
十方暮れ(じっぽうぐれ)は、六十干支のうち、21番目の甲申(きのえさる)から30番目の癸巳(みずのとみ)までの10日間を天地相剋(てんちそうこく)して、万事うまく行かない凶日として設定したものです。
労して功の少ない日とされています。
根拠は明白ですが、吉凶なしとはいうものの、相生(そうしょう)の吉日や比和(ひわ)の日も間日(まび)として含まれているため、正当性は薄弱といわねばなりません。
暦を読み解く その7~六輝
六輝(ろっき)とは、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の総称であり、六曜または六曜星ともいわれています。
迷信にとらわれたり、また拒絶して無関心になったりするのではなく、正しい知識を習得し、素養の一つとすることができれば、占い師としての窓口が広がり、人扶けの一助となるでしょう。
六輝の意味は次の通りです。
先勝(せんしょう、せんかち)~先んずれば勝つという意味であり、急げば吉といわれている。旧暦1月と7月の朔日(ついたち)から始まる。
友引(ともびき)~凶事に友を引くという意味でつかわれるが、本来は勝負がつかず友が引き分ける日をいう。旧暦2月と8月の朔日(ついたち)から始まる。
先負(せんぷ、せんまけ)~先んずれば負けるという意味であり、急いではならないという戒めである。旧暦3月と9月の朔日(ついたち)から始まる。
仏滅(ぶつめつ)~物みなむなしいという意味で物滅と書いていたが、いつしか仏が入滅する日として使われ始めた。釈迦の命日とは無関係である。旧暦4月と10月の朔日(ついたち)から始まる。
大安(たいあん、だいあん)~泰安とも書き、大いに安しという意味であり、万事吉の日である。旧暦5月と11月の朔日(ついたち)から始まる。
赤口(しゃっく・しゃっこう)~赤口とは羅刹神(らせつしん)という悩みをまき散らす鬼であり、この日は何をしても悪日という。旧暦6月と12月の朔日(ついたち)から始まる。
ブラ高野~箱嶋家住宅
ブラ高野~田原淳先生住居之址
警固公園(福岡市中央区)の西側真向かいに、病理学者である田原淳(たわら すなお 1873年~1952年)先生の住居址記念碑が建っています。
田原先生は明治36年、ドイツへ留学した際、心臓の筋肉を何千枚も薄片にし、顕微鏡で観察を行った結果、心臓の拍動を指令する電気信号を伝える筋肉を発見し、心臓収縮のメカニズムを解明しました。
この筋肉は、田原先生の功績を称えて田原結節と呼ばれています。
当時はなぜ心臓は拍動を続けることができるのかという問題について、神経由来説と筋肉原因説が対立し、100年以上論争が続いていましたが、田原結節により筋肉原因説の正しさが証明されました。
また田原結節の発見は、心電図検査法やペースメーカー開発のきっかけとなり、心臓病で苦しむ人々に大きな恩恵をもたらしました。
田原先生はドイツ帰朝後、37歳で九州大学医学部教授に就任し、その後帝国学士院恩賜賞を受賞するなど78歳で他界するまで栄光に包まれた生涯を送りました。
暦を読み解く その6~十干の意味
十干(じっかん)は五行から派生した概念であり、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の総称です。古代中国殷王朝(BC17 世紀)の時代に使われた、といいます。
十二支と同様草木(そうもく)の発生、繁茂、成熟、死滅の過程を十段階に区分し、説明したものです。今でも十干十二支としてなじみ深い暦注(れきちゅう)です。
それぞれの意味は次のようになります。
甲(きのえ)~よろいかぶと、という意味で、種子が厚い皮を被っている状態をいう。
乙(きのと)~きしむ、という意味で、幼い芽が伸びずに曲がっている状態である。
丙(ひのえ)~あきらか、という意味で、草木が充分に成長し、その姿がはっきりとした様子を表す。
丁(ひのと)~壮年の男子、という意味で、草木が成長し充実してきた様子を示す。
戊(つちのえ)~しげる、という意味で、草木が繁茂して大地を覆うほど盛大となった様である。
己(つちのと)~やむ、という意味で、草木の繁茂が極限となった様子である。
庚(かのえ)~あらたまる、という意味で、草木が実を結んで春の訪れを待っている状態である。
辛(かのと)~あたらしい、という意味で、草木が枯れ果て新しい芽吹きを準備している状態である。
壬(みずのえ)~はらむ、という意味で、種子の中に新しい生命がはらまれた状態を表す。
癸(みずのと)~はかる、という意味で、種子にはらまれた生命が長さを測れるほど伸びた
状態である。
ブラ高野~若戸大橋
暦を読み解く その5~土用とは何か?
春夏秋冬という四季の直前18日間は、大気変化の兆候がでるといわれ、この期間を土用(どよう)といいます。
木、火、土、金(ごん)、水の五行のうち、停滞と変化の作用が同時に起こるのが土の特性です。
土の作用と書いて土用といい、土用の習慣を調べると、陰暦で生活していた人は、停滞と変化、陰と陽の作用が同時に起こる「土」の怖さを意識していたことがわかります。
その意味 は?
土用は、年に4回、冬の土用、春の土用、夏の土用、秋の土用があり、新しい季節にむけて体力、抵抗力をつけるための注意喚起の期間でもあります。
土用を乗り切ってようやく新しい季節を迎えることができるのです。
その期間(令和元年)は?
1月17日(冬の土用入り) 2月3日(冬の土用明け) 立春~2月4日
4月17日(春の土用入り) 5月5日(春の土用明け) 立夏~5月6日
7月20日(夏の土用入り) 8月7日(夏の土用明け) 立秋~8月8日
10月21日(秋の土用入り) 11月7日(秋の土用明け) 立冬~11月8日