高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ビートたけし

素粒子は常識で判断できず、宇宙はアナーキーであるという、対称性の自発的破れに気付いた南部陽一郎博士(1921年~)のように、今では当たり前になっているものの、50年前まで誰も思いつかなかった宇宙の一面を最初に見破った人を天才と呼びます。

死は暴力的である、というビートたけしの評論を読んで初めて気づくことが多々あります。

ビートたけしは、漫才師出身ですが、司会、監督・.脚本、俳優、作詞・作曲、評論・随筆、教育という様々な分野で、その天才性を充分に発揮しています。

また、遊び心を持っているので、肩が凝らないのは、「菊次郎の夏」という映画を見ればわかります。

ビートたけし主演の「点と線」は、単なる推理物に終わらず、時間を忘れるようなストーリー展開の小気味良さ、時代背景の把握、文明批評力、出演者の渋さで、松本清張の原作を超えた面白さがあります。

ビートたけしは、現代日本が生んだ、世界に通用する人物です。

四国巡礼記シリーズ~報いの時期

15番札所の国分寺(こくぶんじ)は、四国八十八ヶ所の中で唯一曹洞宗に属しています。

曹洞宗と言えば、「修証儀」に次の記述があります。

「善悪の報に三時あり。一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受、これを三時という。」

意味は、
「善も悪もその報いを受けるのは、三つの時間差がある。一つは、現世の報いを現世で受ける場合、二つ目は、現世の報いを来世で受ける場合、三つ目は、現世の報いを次の次の来世で受ける場合であり、これを三つの時間差という。」

報いを受ける時期についての論理的な説明ですが、今一つ説得力に欠けるのは、現世の報いを来世で受けて何の意味があるのか、という疑問を解決できないからです。

現在の行為について、来世で報いを受け償いをしても、不公平感がぬぐえず、いかにもバランスが悪く、遅すぎるだろうと思うのです。

したがって、納得できるのは、「一者順現報受」だけ、つまり現世の報いは現世で受ける、という部分になります。

前世は修行僧であると言われたものの、前世や来世など笑止というほかなく、四国巡礼の元祖といわれる衛門三郎の事例のように、現世における善悪の行為により生じた結果は、現世でこそ引き受けることができるのだ、とシンプルに考えるとわかりやすくなります。

前世に興味があれば、エドガー・ケイシーの「転生の秘密(たま出版)」に驚くべき出来事が数多く書かれています。

金剛杖のお守り
金剛杖のお守り

国分寺の公式ホームページです。
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/15kokubunji/

小林一茶

明けましておめでとうございます。

新春を寿ぎ、春を詠った小林一茶の俳句をご紹介しましょう。

小林一茶を理解するキーワードは、子供など弱者への暖かい眼差しです。

~雪とけて村いっぱいの子供かな

~春めくややぶありて雪ありて雪

バランス感覚の豊富な、面白味のある句もあります。

~めでたさも中位(ちゆうくらゐ)なりおらが春

~悠然として山を見る蛙かな

情景をダイナミックに描く蕪村、自然や人生を厳しく見つめ続けた芭蕉に比べてややマイナーですが、一茶の俳句は、楽しくすんなり頭に入って行くのが特徴です。

四国巡礼記シリーズ~懐かしい味

12番札所焼山寺(しょうさんじ)参拝の後は、昼食には麓にある田中食堂のうどんがお勧めです。

食べ放題で、子供のころに食べたようななつかしい味がします。

だしも薄味ですが、素朴なおいしさがあります。

具はなると巻きとネギがパラパラで、安物の極めつけのようなどんぶりで出てきます。

3杯でも4杯でもつるつると喉を通っていきます。

うまい、と感じるのはなぜでしょうか。

生しょうが入りの砂糖菓子は、強烈な甘みがしてつい食べ過ぎになります。

山道を3㎞程度下ると、衛門三郎ご終焉の地である杖杉庵(じょうしんあん)に出ます。

バスの中では、果物やお菓子のお接待が続いています。

生しょうが入り砂糖菓子(田中食堂のお土産)
しょうが菓子

焼山寺の公式ホームページです。
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/12shozanji/

不徳

徳目の内容を東西比較すると、次のようになります。

1 儒教の徳目
仁(思いやりの心)、義(正義)、礼(礼節)、智(智恵)、信(信頼)

2 ギリシャ思想(プラトン)の徳目
智恵、勇気、節制、正義

3 キリスト教の徳目
信仰、希望、愛

公職にある人がテレビカメラの前で、「不徳の致すところ」と釈明することがありますが、この慣用句が「徳が足りないことによるものである」という意味であれば、事件は、仁や義、智恵や勇気が足りなかったために起こった、と真面目に言っていることになります。

四国巡礼記シリーズ~長曽我部家の滅亡

11番札所藤井寺(ふじいでら)は、臨済宗妙心寺派に属しています。

四国八十八ヶ所は、全部が真言宗というわけではなく、天台宗が四寺、臨済宗が二寺、曹洞宗が一寺、時宗も一寺あります。

天正年間(西暦1573年~1592年)この寺は、土佐の大名である長曽我部元親により焼き打ちされ、また天保三年(西暦1832年)の大火でも伽藍が焼けましたが、国宝となっている薬師如来像だけは、2回の火災にも焼失することなく今でも奥殿に安置されています。

四国各地の礼拝所を焼き払った長曽我部家は、関ヶ原の戦いでは傍観したまま、なすすべもなく敗退し滅亡しました。

藤井寺の公式ホームページです。
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/11fujiidera/

繋辞下伝

易経の解釈書である繋辞下伝には次の記述があります。

「易の興るや、それ殷の末世、周の盛徳に当るか。文王と紂との事に当るか。」(易経 中国の思想Ⅶ 丸山松幸訳 徳間書店版)

「興る」を成立ととるか、興隆とみるかで解釈が分かれます。

「興る」を成立ととれば、
「易書が成立したのは、殷の末期・周の興隆のころであろうか。たぶん文王が羑里に囚われていたころかもしれない。」(易経 中国の思想Ⅶ 丸山松幸訳 徳間書店版)

「興る」を興隆とみれば、
「易の盛んになったのは、おそらく殷の末世、周の盛んな徳のきざしはじめた時期にあたるであろうか。周の文王と殷の紂王の時代の事に当たるであろうか。」(易経 高田真治、後藤基巳訳 岩波文庫版)

今から約3000年前に周王朝が成立しています。

四国巡礼記シリーズ~お接待の寺

七番札所十楽寺(じゅうらくじ)では、付属施設の宿坊に泊まります。

何しろ出発してから最初の宿泊なので、何となくぎくしゃくした雰囲気の中、お茶を飲みながら同じ部屋の人と初対面の自己紹介と挨拶が始まります。

神奈川、静岡、大坂と各地から参加しています。

夕食は、野菜中心の精進料理なのでおいしいというわけではありませんが、健康食といっていいでしょう。

普段の食事で、肉や魚を摂りすぎなのがわかります。

朝は、6時30分からお勤めが始まるので、宿坊から便利な空中回廊を通って、本堂へ行きます。

お勤めの時間は、20分~30分程度で終わりますので、どうということはありません。

四国八十八ヶ所の中で、空中回廊を持つ施設は、十楽寺だけです。

山門も他とやや違った趣があり竜宮城のような造りです。

朝食も終わって、バスに乗ると、先程まで祈祷していた僧侶がニコニコしながら見送りしてくれます。

使い勝手のよい空中回廊の設置、山門の楽しい造形、僧侶の見送りなど四国八十八ヶ所では他になく、旅人を暖かく迎えるお接待実践の寺です。

前日もバスの中では、名古屋の人から自家製柿のお接待がありました。

十楽寺の公式ホームページです。
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/07jurakuji/

 

 

周易

西伯昌は、息子の武王から文王と諡(おくりな)された、3000年前の中国の忠臣です。

中国大陸では、武よりも文を重んじていることから、文は、最高の名誉ある諡です。

文王は、殷の紂王により、羑里(ゆうり)に幽閉されながら、根拠が今一つ明確ではないものの、既にあった六十四卦に、説明文である卦辞を書き、第四子の周公旦が三百八十四爻に爻辞を追加したといわれます。

周代に完成したため、易経のことを「周易」とも言います。

四国巡礼記シリーズ〜嘘の効用

ここは、弁慶の力石がある3番札所の金泉寺(こんせんじ)です。

弁慶の力石は、何の変哲もないただの大岩ですが、屋島の戦場へ急ぐ源義経が戦勝祈願のために立ち寄った際、弁慶が持ち上げたという伝説の石です。人間一人で持ち上げられるわけもなく、また奇襲を好む源義経が戦いの前に立ち寄るはずもなく、ただのでっち上げと思うものの、罪のない、楽しい嘘は、何やら心をなごませます。

法華経方便品のように、嘘のかたまりのような、しかし天才的な虚構であれば、それはそれとして、妙に納得でき、説得力を感じます。

嘘の効用があるのでしょうか。

弁慶の力石看板
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金泉寺の公式ホームページです。
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/03konsenji/

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