高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~藤崎遺跡

福岡市早良区百道の藤崎遺跡は、昭和52年の地下鉄工事をきっかけに本格的な発掘調査が進み、100基以上の甕棺や生活用土器が発掘され、出土品から1700年程度前の弥生時代から古墳時代初期の時代風景がみえてくるようです。
地下鉄藤崎駅ロビーに展示されている子供用甕棺をみると、子供を大切に埋葬した古代儀礼の名残りをみることができます。
地下鉄藤崎駅の上にはひっそりと小さな記念碑がたっています。

藤崎遺跡記念碑
藤崎記念碑

高杯
藤崎高杯

子供用の甕棺
藤崎子供用甕棺

煮沸用土器
藤崎煮沸用土器

 

易経の参考書

易を勉強する場合の参考書としては、次の書籍がお勧めです。
1 中国の思想Ⅶ 易経
「中国の思想Ⅶ 易経」は、易経の参考書としては、初心者から専門家まで幅広く使えるのが特徴で、易経の流れや精神をよく踏まえて書かれた労作です。
訳者である丸山松幸氏は、中国思想史学者、1934年台北生まれ、東大名誉教授、東京都立大学中国文学科を卒業されています。
文章にやや癖がありますが、この本は、基本をしっかりと勉強するのに最適で、易占学の解説書として欠かすことができません。

2 易(えき)入門
「易(えき)入門」は、黄小娥氏の名著で、占いの勉強にもまた単なる読み物としても面白く、著者の天才ぶりがわかります。

3 易の効用
思想として易経を学ぶ場合は、内容がやや高度ですが、高木彬光氏の「易の効用」がいいでしょう。

ブラ高野~旅の余韻

東京都台東区谷中にあるカバヤ珈琲は、大正15年建築の古民家を改造した喫茶店で、1階は、普通にカウンター席とテーブル席、2階に上がると建築当時のまま畳の部屋があり、観光の疲れを癒すのに最適のスポットとなっています。
日暮里駅を降りて鶯谷の方向にぐるぐる廻って歩いた後、一杯のコーヒーで、落ち着いた民家の雰囲気を楽しみながら旅の余韻に浸ることができるという貴重な空間を提供しています。
夜には、アルコールや食事もできて洒落たレストランに変貌します。

カバヤ珈琲
カバヤコ―ヒ―全体

カバヤ珈琲看板
カバヤ珈琲

カバヤ珈琲店内から
カバヤ珈琲外景

九星の相剋

風信帖(ふうしんじょう)は、空海から最澄へ出されたお礼と来訪依頼の手紙です。
風信帖の書き出しは、
「風信雲書、天より翔臨(しょうりん)す。之を披(ひら)き之を閲(けみ)するに、雲霧を掲(かか)ぐるが如し。」

意味は、
「風に乗せた便り、雲が運んだ書状が天から躍動するように舞い降りてきました。お手紙を開きこれを読むと、雲霧が晴れるような心地がします。」

最澄の手紙である久隔帖(きゅうかくじょう)は、次のようにはじまります。
「久しく清音を隔て、馳恋は極り無し。安和を伝承して、且く下情を慰る。」

意味は、
「長い間清らかな友人の声を聞けず、慕う気持ちは限りありません。安かに心和んでいる事をお伝えして、せめて気持ちを慰めております。」

両者の文章を読むと、剛の空海に対し柔の最澄という対比が浮かび上がってきます。

人間離れした能力を持ち、神か人間か曖昧模糊とした正体不明の弘法大師空海、「一隅を照らす人間が国の宝なんだぞ」と教えた、謹厳実直な学者タイプの伝教大師最澄。
二人の断交に至る経緯は、「空海の風景」(司馬遼太郎著)で詳しく語られています。
相性判断では、二黒土星の人は、一白水星の人の頭を押さえ足を引っ張る、としています。
二黒土星の空海(AD774年生まれ)も一白水星の最澄(AD766年生まれ)も九星が持つ相剋の原則から自由になることはできなかったようです。

ブラ高野~堀川運河

全長約12km、福岡県中間市から洞海湾の最奥部へ通じる堀川運河は、日本では珍しい人工河川です。
19世紀に始まった開削工事は、約200年かけて2004年にようやく完成しています。
明治時代には筑豊炭田の石炭を若松港へ積み出すため利用され、五平太舟が往来し日本石炭産業活性化を担っていました。
ただの水路のように見えますが、今でも洪水対策、灌漑用水路として現役で活躍しています。

堀川運河
堀川運河

堀川運河看板
堀川運河看板

黙示録の世界(その5)~第四の騎士

子羊(イエス)が第四の封印を開いた時に、蒼ざめた馬に乗って現れ、死を象徴する第四の騎士が戦争や飢饉、また野獣を使って人々への災厄をもたらすシーンは、ヨーロッパ大陸の絶え間ない戦争、感染症の大流行、大飢饉を招くイナゴによる農産物被害を連想させます。

六つの封印が開かれる(第6章7節、8節)
「子羊が第四の封印を開いたとき、『出て来い』という第四の生き物の声を、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は『死』といい、これに陰府が従っていた。彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた。」(新約聖書 新共同訳)

天上の礼拝からサタンの敗北、新しい天と地の創造、イエスの再臨まで、子羊、竜、天使、神、長老、白馬の騎士等々オールキャスト登場の黙示録は、全章が文字曼荼羅と言っていいでしょう。壮大な虚構を駆使して教えを守るキリスト教の激烈なカルト性と全編にわたって鮮やかに描かれている生と死の躍動感は、評価はともかく人類の精神的記念碑と言っていいほどで驚きを禁じえません。

 

受講者募集

九州易占塾では、平成27年1月から始まる特別講習の受講生を募集しています。
手相・人相・家相のセットメニューで、1回1時間30分、計6回9時間コースです。
会費4万5千円となっています。(入会金無料)
手相と人相は、運勢、宿命、性格、恋愛、健康などの推定根拠、家相は幸せな生活するための一助となります。
福岡市及び近郊にお住まいで通学できる方が対象です。

○講義スケジュール
平成27年1月13日(火) 18時30分 手相
平成27年1月20日(火) 18時30分 手相
平成27年1月27日(火) 18時30分 人相
平成27年2月 3日(火) 18時30分 人相
平成27年2月10日(火) 18時30分 家相
平成27年2月17日(火) 18時30分 家相

 

黙示録の世界(その4)~アルファとオメガ

アルファ(α)はギリシャ文字の一番目で物事の最初、オメガ(Ω)は24番目で最後を意味する文字です。
黙示録では、クリエイター(神)みずから自分は、アルファであり、オメガであると、と自己紹介し、その永遠性を表明しています。

序文と挨拶(第1章8節)
「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」(新約聖書 新共同訳)

序文と挨拶(第1章17節)
『恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者』(新約聖書 新共同訳)

新しい天と新しい地(第21章6節)
「また、わたしに言われた。『事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。』(新約聖書 新共同訳)

キリストの再臨(第22章13節)
「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」(新約聖書 新共同訳)

では仏教ではどうなっているか。
仏典中の白眉である法華経の如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)では、如来の言葉として、
「われは成仏してよりこのかたはなはだ久遠なり」
「われは実に成仏してよりこのかた、久遠なることかくのごとし」
とも書いて、久遠の生命を主張しています。

クリエイター(神)も如来も言葉は違うもののどちらも永遠の生命を強調しているのが共通しています。
いつの日か神々の正体を追跡する作業に乗り出したい、という衝動が起こるのはなぜでしょうか。

 

黙示録の世界(その3)~ローマ皇帝ネロの実像

「666」という数字は、ローマ帝国第5代皇帝ネロ(西暦37年~68年)を指すという見解は、日本聖書協会も支持しているようです。皇帝ネロというギリシャ文字をヘブライ文字に置き換えその表記を1文字ずつ一定の法則で数字に変換し、合計すると666になります。

二匹の獣(第13章15節~18節)
「獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべても者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六白六十六である。」(新約聖書 新共同訳)

ローマの神々の支配下、多神教徒であった皇帝ネロは、初代ローマ教皇ペテロを逆さ磔にして殺すなどクリスチャンを弾圧し続けましたが、一神教が勝利した現代ヨーロッパから広がった暴虐の大悪人という印象は、本当でしょうか。

皇帝ネロとは何者か。

多神教徒としてローマの神々を背景にクリエイター(神)に挑んだ最初の皇帝であり、単なる暴君ではないと捉える方が実態に近付くことができるのは、その死後も善政を惜しむ市民の献花が絶えず、東方のパルティヤ王国が感謝祭を続けたり、土木・建築では今でも現役で残るコリントス運河の開削事業を開始したり、外交、内政ともに実績を上げていることから明らかです。

「獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた」という偶像崇拝は、多神教徒のあかし、かつてクリスチャンが全世界で行った蛮行と同じレベル、彼の実体に迫るためには、悪意のプロパガンダを割り引いて考えなければなりません。

 

黙示録の世界(その2)~大天使ミカエルの戦い

甲冑を着込んで軍団の先頭を行く大天使ミカエルが竜に戦いを挑むシーンは、第12章に以下のように描かれています。

女と竜(第12章第7節~9節)
「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。」(新約聖書 新共同訳)

この部分は、地下活動をしている信者達にあてた激励文のようです。
クリスチャンにとって全人類を惑わす者とは誰か。
言うまでもなく、多神教徒にして、文化、芸術の推進者皇帝ネロに違いありません。
ヨーロッパ世界では、西暦380年にキリスト教がローマ帝国の国教となり、ローマの神々が滅び去り、一神教徒と多神教徒の壮絶な長い戦いが終結しました。

また大天使ミカエルは、ジャンヌ・ダルク(西暦1412年~1431年)に「戦え!」というクリエイター(神)のご命令を伝えたともいわれています。
亡国の危機にあったフランスは、弱冠19歳オルレアンの少女の活躍によって救われたが、彼女は火あぶりの刑で殺されました。

クリエイター(神)のご指示を忠実に実行したといわれるオルレアンの少女は、カトリックでは聖人の一人となっているものの、残酷な火あぶりの刑は戦争の罪をあがなうためだったのかどうか、ローマ教皇のご見解を伺いたい、と思っています。

 

 

 

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