・北は、九星のうち一白水星、八卦では坎(かん)、十二支では子(ね)が位置します。
・家相学では、北は物事の始まりであり、かつ終わりである、すなわち天と地が始まる方位といわれるほど重要な場所です。
・北は、陰陽の接点であり、陰陽が融合する場所であり、あらゆるものが生まれ、基準となる方位であり、中心でもあります。
ア 張りと欠け
・北側の外壁は張りも欠けもつくってはいけません。
・すっきりした北側の外壁をもつ家では、夫婦、親子が和やかに過ごし、心豊かな生活を送ることができます。張りや欠け、出っ張りがあると、陰陽の融合がスムーズにならず、家族間のトラブルとして現れます。
イ キーワード
・北を理解するキーワードは、陰陽の衝突と融合、といっていいでしょう。
徒然の記
家相の見方~北の意味
家相の見方~家の形
物体の形は、円形と三角形および四角形が基準ですが、家相学では、四角形を標準として扱います。
円形は、何もない虚無の空間であり、三角形は立方体である三角錐として家相にはなじまないとみるからです。
また四角形のうち、正方形は四辺の長さが等しく陰と陽、張りと欠け、吉と凶がないため、人間が住むことはできないとみるのが家相学の前提でもあります。
正方形の家を造って住むと、人間らしい生活はできないといわれています。
ブラ高野〜四国八十八ケ所 66番札所(ふだしょ)
四国八十八ケ所の66番目にある雲辺寺(うんぺんじ)には、おたのみなす、というなすびの形をした腰かけがあります。おたのみなすの「なす」は、「成す」と野菜の「なす」の掛詞です。真偽は定かではありませんが、おたのみなすに腰かけて祈願すると、ご利益(りやく)があるそうです。
ブラ高野〜四国八十八ケ所 27番札所(ふだしょ)
神峯寺(こうのみねじ)は、四国八十八ケ所のうち、27番目の札所です。この寺に行くには、真っ縦(まったて)と呼ばれる急な山道を登らなくてはなりません。この坂道は、遍路ころがし、ともいわれ、四国八十八ケ所の難所の一つです。昭和37年、脊髄カリエスという難病で医者に見放された愛知県の女性が真っ縦で転んだ拍子に立って歩けるようになり、完治したといいます。
ブラ高野~博多芸者衆
家相の見方~家の影響
・家相は5年で軽い影響が出ますが、家の怖さは、1サイクル20年住まなければ影響がはっきりしないことです。その家で生まれた子供が成人になってようやく吉凶禍福が明瞭になってきます。
・家の影響を細かくみるためには20年を前半10年と後半10年に区分し、10年をさらに5年単位でみると、最初の5年は張り(プラス 陽、吉)、次の5年は欠け(マイナス 陰、凶)の影響が出ると思っていいでしょう。
・五年ごとにみると、新築で入居した場合、次のようなサイクルで循環します。
5年~張り(プラス 陽、吉)
5年~欠け(マイナス 陰、凶)
5年~張り(プラス 陽、吉)
5年~欠け(マイナス 陰、凶)
ブラ高野~浅草木馬館
家相の見方~家の印象
・家相を図面だけで判定するのは片手落ちであり、現場へ行かなければなりません。家を外から観て、どういう印象を受けるか最初にどこに眼が行くか、例えば玄関や門は、玄関は家族の顔つきを表し、門はその家族の社会に対する姿勢を表明している、とみます。
・玄関の明るさ、暗さは、家族の顔つきが明るいか暗いか、また開放的な門構えであれば、積極的に社会活動を行う人々として推定の材料となります。
・旅先で居酒屋やレストランに入る場合は、入口の華やかな店を選ぶと料理の味や従業員の対応にはずれがない、と思っていいでしょう。
・家の中で最初にみるべき場所は、鬼門や裏鬼門ではなく、家の中央部です。
太極である中心はどうなっているか、どう感じるか、どう映るか、雰囲気を感じ吉凶判断の一助とすることが肝要です。さらに家全体からどんなイメージを受けるか、例えば生きている家か死んでいる家か、運勢を発展させる家か停滞させる家か感じ取ることが家相判定の要領です。
良い家相の条件
良い家相は、次のような条件を満たしています。
・土地の清め
古井戸や池があれば石やコンクリートを残らず除去して一定の作法に基づき埋め戻し、土地をきれいにした上で、建築前の地鎮祭を執り行う必要があります。
・塀、囲い
人間の洋服と同じで、家を外部から保護するため生け垣でもよいので、家の周りには必ず囲いを設置しなければなりません。
・外壁
出窓や飾りなど突起物をつくらず、すっきりした外壁にするのがお勧めです。普通の窓であれば問題ありません。
・床の間
床の間は、陽ざしを集めるため、必ず東か東南に造らなければなりません。
・水まわり
トイレ、台所、浴室という水気が多い場所は、家の西北にできるだけこじんまりと小さくまとめるのがいいでしょう。
人間の顔が陽が当たる東に向けば、西北は尻の部分に相当し、また一箇所に集中させるのは、湿気を拡散させないためです。
ブラ高野~巣鴨の庚申塔
京都まで続く中山道(なかせんどう)の宿場町として栄えた巣鴨の地蔵通り商店街北端に庚申塔があります。
巣鴨駅からぶらぶら歩きに程よい距離で若い人も多く、疲れると「米田コーヒー」でくつろぐことができます。
庚申の日、人の体内に棲む三尸(さんし)という虫が、その人が寝ている隙に天に昇り、天帝に日頃の罪を告げる…すると天帝は罰としてその人を早死にさせる…という信仰が古代中国にあり日本でも影響を受けています。
庚申の夜になると、人々は三尸が体から抜けでないように眠らずお喋りや飲食を楽しむという風習が最近まで日本各地に残されていました。
長く続けば、地元の人々は寄合の記念碑として庚申塔(塚)を建立しました。