高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~若戸大橋

若戸大橋は、洞海湾にかかる、北九州市若松区と戸畑区を結ぶ橋で、1962年9月に開通しました。
現在は、国策道路として国道199号線の一部になっています。
電気溶接と違って、真っ赤に焼けた鋲(びょう)を一本一本打ち込んで鉄の板を張り付け、組み立てていくという昔の工法で建設されましたが、50年以上たっても微動だにせず景観に溶け込んだ立派な姿で建っています。
この橋は、日本で最初の長大橋ですが、当時は豊かではなかったものの日本全体に活気も夢も満ちていた時代であり、アメリカやヨーロッパを意識して背伸びしたような「東洋一の吊り橋」というキャッチコピーで戦後日本の経済成長を象徴していました。
開通を祝って開催された若戸博覧会は、入場者142万人、若松区と戸畑区の人口は合計15万人、会期2箇月で人口の10倍程度の入場者があったわけで大成功に終わりました。

 

タロットカードⅩⅩI ~世界(The World) 

タロットカード№21は、達成を意味するカードです。
月桂樹の輪の中、清らかな裸身からは、何のてらいもなく気負いもなく、ナイーブな真心が伝わってくるようです。
このカードは、様々な明暗をくぐり抜けて感受した最高の悦び、昇華された魂を暗示しています。
五感を超越して、宇宙と一体となる至上(しじょう)の忘我状態を表す幸運のカードは、現実世界でも目標達成を約束します。
月桂樹の外周を獅子・雄牛・天使・鷲が囲んでいますが、獅子は火、雄牛は大地、天使は風、鷲は水を象徴しています。
四つの生き物は、ヨハネ黙示録で次のように描かれています。

天上の礼拝(ヨハネ黙示録第4章第6節~第8節)
この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。第一の生き物は、獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、そのまわりにも内側にも一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
全能者である神、主、かっておられ、今おられ、やがて来られる方」
(新約聖書 新共同訳)

このカードは、正位置では、ハッピーエンドや達成、自信、逆位置は、未達成、中途半端を意味します。

 

ブラ高野~東京スカイツリー

2012年に電波塔、観光・商業施設として開業した東京スカイツリーの高さ634mは、旧分国名である武蔵(むさし)と語呂合わせで決めたようです。
展望デッキまでは地上高450mあります。
オフィスビルも併設されており、周辺施設は「東京スカイツリータウン」と呼ばれていますが、近くから見上げても、大きすぎてかえって全体の姿がわからないので、やや離れた浅草あたりから眺めるのがお勧めです。

 

タロットカードⅩ~運命の輪(Wheel of Fortune)

タロットカード№10の運命の輪は、輪廻を課題にして描かれています。
人生の流転は、ゆっくりと回転する輪に例えられますが、このカードは、ヨーロッパ人が考え出したとは思えないほどすこぶる仏教的です。
仏教の六道輪廻(ろくどうりんね)のように、輪廻の存在を主張するとともに、人生の局面において運命対自由意思の対決を示しているのです。
必ず左へ回転する運命の輪は、周期性・永遠性の象徴であり、吉と凶は変則的ながら交互に訪れることを暗示しています。
輪の周囲を四大元素を司る獅子、雄牛、天使、鷲がとり囲み、輪の頂上の生物は、剣を持ち敵を打破する神聖なスフィンクスです。
新約聖書のヨハネ黙示録では、生命の永遠性について、以下のように書いています。

新しい天と新しい地(ヨハネ黙示録第21章第6節)
「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終りである。」 (新約聖書 新共同訳)

アルファは、ギリシャ文字の最初、オメガは、最後の文字であり、ヨハネ黙示録は、輪廻を超越した、永遠の生命を持つという神の存在をたびたび宣言しています。
このカードは、輪廻や宿命、周期を意味しています。
というのは、これが出ると避けられない宿命的な出来事や事件、変化、二度とないチャンスの到来を表すことがあるからです。
正位置では、めぐり会いや幸運の出会い、逆位置では、失意や不運を意味します。

※新共同訳~プロテスタントとカトリック両教会が共同してつくり上げた翻訳

 

ブラ高野~向島百花園(むこうじまひゃっかえん)

東京都墨田区にある向島百花園は、江戸時代から続く伝統ある日本庭園です。
1809年代初頭(文化6年)から「百花園」と呼ばれるようになりました。
みどころは早春の梅と秋の萩です。
一時は園内も荒廃していたそうですが、1939年(昭和14年)当時の東京市に譲渡されて公立公園として再出発し、現在のような整備された美しい花園になったといいます。
泉や通路、建物また30余基の石碑などを巧みに配したレイアウトが秀逸です。

 

タロットカードⅪ~正義(Justice)

タロットカード№11は、正義(Justice)を表しています。
背筋を伸ばし、鋭い眼差しで静かに座っている人が持つ右手の剣は、社会の不正と虚偽を正し、左手の秤は、公平でバランスのとれた判定を表現しています。
剣は、誤謬は許されない両刃の剣であり、深い自省力と本物を見きわめる鋭い観察眼が、正義を発動するための決め手となります。
均衡を保っている秤は、不思議なことに向って右の受け皿がやや大きく見えるのですが、これは、公平の概念は左右対称とは限らないという基本理念があるからです。
ヨーロッパでは、数字による公平よりも、調和や機能の均衡が正義の観念を表すとみているのでしょう。
正義とは何か。
ヨーロッパ文明が掲げる正義の発動目標は、誰もが納得できる実質的な公平の実現です。
フェアプレイとしてあらわれる公平性は、ヨーロッパ文明を理解するキーワードの一つです。
真珠湾奇襲攻撃は、アメリカ人の正義感を激しく刺激し、戦争参加のきっかけとしてアメリカ世論の喚起に利用されたことに思いを致すべきでしょう。
このカードは、正位置では、相性の良さや正しい判断、計算、逆位置では、非常識や独断、不安定を意味します。

 

ブラ高野~今津人形浄瑠璃

今津人形浄瑠璃は、明治24年に隣村の大原操り人形(おおばるあやつりにんぎょう)という人形座から諸道具一式を譲り受け、福岡市西区今津を拠点に創設されて以来、130年になります。
一座の名称を恵比須座といいますが、小学生だけでも立派に浄瑠璃を演じることができます。
人形の所作(しょさ)と太夫(たゆう)の語り、そして三味線の演奏という三位一体で成り立つ人形浄瑠璃が表現する激しい真実性には脱帽するほかありません。
歌麿が描く醜い役者絵のように、神楽という神前舞踏劇の伝統を忘れた歌舞伎は、薄っぺらなネタを嘘っぽく演じるだけですが、人間存在の哀しさ、愛しさ、浅ましさをとことんえぐり出し、演じきってみせる人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」(けいせいあわのなると)に比べれば、アニメ映画の傑作である「千と千尋の神隠し」さえ色あせて見え、幼稚園教材のように思えてくるのが不思議です。

 

 

タロットカードⅨ~隠者(The Hermit)

タロットカード№9は、隠者(The Hermit)を表しています。
これは大アルカナ22枚のうち、最も暗示性と思索性に富んだカードです。
暗闇に燈明を灯している求道の人は、深々としたマントに身を包み俗世間の喧騒からのがれ、左手に持つ杖は、思索の旅を象徴しているようです。
あかりをかかげ続けた、真摯な印象を持つ姿が一抹の哀愁を感じさせます。
カードの構図が人間の宿命・過去・感情を意味する左側を強調していることから、このカードは、宿命の探求、過去との対話、反省や孤独感など精神分野を表現している、とみることができます。
流浪の求道者は、旅を終えた先人として、苦難の旅を続ける行者にあかりをもって導いているようにもみえますが、過去を検証し未来へ向けて真理を求め続ける思索者なのでしょう。
正位置では、自分自身を振り返り、問題と真正面から向き合う大人の愛、不断の努力、逆位置では、カオスが続く一時の愛、自己喪失を意味します。

 

 

ブラ高野~宵の明星

毎年今頃になると、西の空に宵の明星という優雅な別称を持つ金星が燦然と輝いているのが見えます。
三日月とコラボしながら、ほかの星が見えない夕方でも尋常ではない明るさでチカチカ光っています。
地球から金星までの距離は8光分なので、光の速さで移動しても金星に着くまで8分間かかります。
といっても、直径930億光年ともいわれる私たちが住む宇宙のほか、多元宇宙の存在を予言する素粒子宇宙論の世界も含めた宇宙の規模からいえば、わずか8分間の距離は、お隣さん同士といっても過言ではないでしょう。
手相の金星丘では、厚みや薄さをみて情愛の濃淡をはじめとして、その有様を読み取ることができます。

タロットカードⅫ~吊るされた男(THE HANGED MAN) 

タロットカード№12の吊るされた男は、犠牲や献身、慈愛の精神を表します。
道化師のような若者が、一方の足を縛られ逆さに吊るされていますが、片方の足は折れ曲がったまま十字を組み、しかしながら引き締まった表情に苦痛はみえません。
カードからは、キリスト教殉教思想の影響がみられることから不滅の魂を思いださせますが、この行者は、身動きできない苦難をすすんで受け入れる通過儀礼の真っ最中と思っていいでしょう。
一見危機的状況に見えますが、凛とした表情には彼自身が望んでこの困難を招き入れたことを暗示しています。
正位置では、献身的な愛や試練、逆位置では、悪あがきや骨折り損を意味します。

※通過儀礼~入学式や出社式のような単なる儀式ではなく、出生や成人という節目の儀礼を体験し通過することにより、人生行路における次のステージへ飛躍するための儀式である。
~七五三のお宮参り、元服、還暦のお祝い、洗礼(キリスト教)、抜歯(南洋群島)

 

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