高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~石炭会館

石炭会館は明治38年に若松石炭商同業組合の事務所として洞海湾岸に建設された洋風建築である。
昭和19年には若松石炭商同業組合が社団法人若松石炭協会となり、その後も株式会社石炭会館として現在協会事務所に使用されている。

建物の構造は木造2階建で、外装はモルタル塗だが、壁面には目地があるので、ぱっと見ると石造建築物のようである。
玄関は、小さなポーチが真ん中に位置する左右対称の形をしている。
正方形の台座にのせた、古代ギリシャ建築様式のドリス式で立てられた四本の円柱があることで、建物の対称性が際立って見える。
古き良き時代の建築物である。

石炭会館(北九州市若松区)

観相の偉人 水野南北の軌跡(きせき)

1 観相との出会い
観相の偉人である水野南北(1760年~1834年)は、幼い頃両親を失って孤児となり、親戚に引き取られるが、10歳の頃から酒を飲み始め、喧嘩ばかりしていたという。
18歳で酒代欲しさに悪事をはたらき牢屋に入った時に、入牢者の人相について興味深い事実に気づいた。
罪人として牢の中にいる人の相と、普通に生活している人の相の間に、明らかな違があることに気づくのである。
これがきっかけとなり、水野南北は観相に関心を持つようになった。

2 剣難の相
牢屋を出た後、水野南北は、当時大阪で名高かった人相見を訪れ、自分の相を見てもらった。
すると、「剣難の相であと1年の命」と宣告されてしまった。
助かる方法はあるかと尋ねたところ、唯一の方法は出家であると言われた。
水野南北は、稀に見る悪相・凶相の持ち主だったのである。

3 年間の食事
そこで禅寺を訪れて入門を依頼するが、住職はその悪人面を見て断ろうと思い、「向こう1年間、麦と大豆だけの食事を続けることができたなら入門を許そう」と答えた。
助かりたい一心の水野南北は、この条件を忠実に実行に移す。
冲仲士をしながら、1年間、麦と大豆だけの食事をするのである。

4 観相家への道
麦と大豆の食事を1年間続けた南北は、禅寺の住職のところへ行く途中に再び例の人相見を訪ねてみた。
すると人相見は,「あれほどの剣難の相が消えている。貴方は人の命を救うような、何か大きな功徳を積んだに違いない」と言った。
麦と大豆の食事を1年間貫き通したことを話したところ、それが陰徳を積んだことになって、凶相を変えてしまった、というのである。
これで禅寺に行く必要のなくなった水野南北は、自分も観相家の道を志そうと決めた。
水野南北21歳の時である。

5 勉強の方法
水野南北は、言い伝えや書物で勉強するだけでなく、散髪屋の修業をしながら3年間人相を研究し、続いて全身の相をみるため風呂屋の三助を3年間、火葬場のおんぼうとなってさらに3年間、死体の骨格や体格などを詳しく調べ研鑽(けんさん)を重ねた。

6 慎食
運勢の強弱は食にあり、とひらめいた水野南北は、「我れ衆人のために食を節す」と決意し、生涯にわたって慎食、すなわち少量の食物を大切にしながら食べた。主食は麦、副食は一汁一菜であった。
米は一切口にせず、餅さえ食べず、好きな酒も、1日1合以上は飲まなかったという。

ブラ高野~ココヤシ

ココヤシは、ポリネシアから熱帯アジアが原産とされるが、現在では世界中の熱帯地方で栽培され、樹の高さは30メートル程度まで成長する。幹はまっすぐには直立せずやや斜めに伸びる。
葉の長さも5メートルになる。

単にヤシ(椰子)と言えばココヤシを指し、果実はココナッツとして食べ物、飲み物として利用価値が高い

ココヤシの木(都城駅前)

高島呑象(たかしまどんしょう)の天才性 その6

1 日本海海戦の勝利を予言
⑴ 状況
日本海海戦(1905年5月)の勝敗を占って、雷水解の上爻「公もって隼を高墉(こうよう)の上に射る。これを獲て利ろしからざるなし」と出たので、日本の勝利を確信した。
日本海軍の勝利を前もって新聞で発表したのは呑象先生らしいエピソードである。

⑵ 結果~雷水解の上爻(じょうこう)
雷水解の卦辞(かじ)は、
解は、西南に利ろし。往く攸无ければ其れ来たり復りて吉なり。往く攸有り、夙くするときは吉なり。
(かいはせいなんによろし。ゆくところなければ、それきたりかえりてきちなり。ゆくところあり。はやくするときはきちなり)

現代語訳は、
西南の方向が利しい。問題なければ元のところに戻って吉。障害となることがあれば早く解決して吉である。

上爻辞(じょうこうじ)は、
公もって隼を高墉の上に射る。これを獲て利ろしからざるなし。
(こうもってはやぶさをこうようのうえにいる。これをえてよろしからざるなし)

現代語訳は、
君主が高い城壁の上にとまっている隼を射落し、獲るので何事も順調である。

ブラ高野~ごんぞう小屋

ごんぞうは、若松港が日本一の石炭積出港だった頃、石炭荷役として本船に石炭を積み込んだり、下したりする海上労働者、すなわち沖仲仕のことである。
気性が荒く、柄が悪く人間扱いされなかったようである。
「ごんぞうと船頭が喧嘩して人間が止めた」という趣旨の戯れ唄があったという。

肩に石炭が入った段袋を背負って延々と運ぶような過酷な重労働はもはや見ることはなくなった。
ごんぞうたちの待機所、休憩所であったごんぞう小屋は、北九州の産業の近代化を、肉体労働で支えた者たちの事績を後世に伝えていくために、当時のままを再現している。
1996年(平成8年)に完成した。

ごんぞう小屋

高島呑象(たかしまどんしょう)の天才性 その5

1 伊藤博文の暗殺を予知
⑴ 状況
伊藤博文がロシアと満州問題を協議するため、ハルビンへと向かう旅の前途を占ってみると、艮為山の上爻(じょうこう)であった。
出張中止を進言したものの、聞き入れられなかったので、「艮」あるいは「山」の字がつく人物を近づけないようアドバイスして送り出した。
しかしながら、伊藤博文は、ハルピン駅プラットホームで3発の銃弾を受け、絶命した。

暗殺犯の氏名は安重根という。
注目すべきは安重根という氏名のうち、根という文字である。
根のつくりである艮は、艮為山の艮であり、さらに「重」という文字は、艮が重なっている有様、すなわち艮為山を表しているとみるのである。
易経は、暗殺犯の名前を示唆していたのである。

三爻辞(さんこうじ)は、まさに銃撃による暗殺の様相を表しているとみた。
一発の銃弾が伊藤博文の腰にがとどまり、もう一発は背骨を貫通したに違いない。

⑵ 結果~艮為山の三爻
艮為山の卦辞(かじ)は、
其の背に艮まりて其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず。咎无し。
(そのせにとどまりてそのみをえず。そのにわにいきてそのひとをみず。とがなし)

現代語訳は、
人の背後にとどまって顔を合わせようとせず、庭先に行っても会おうとしない。咎めなし。

三爻辞(さんこうじ)は、
其の限に艮まる。夤を列く。厲うくして心を薫く。
(そのこしにとどまる。せぼねをさく。あやうくしてこころをやく)

現代語訳は、
じっとして腰を動かさない。背骨が裂ける。迫りくる危険が心を焦がす。

ブラ高野~情熱の花

ブーゲンビリアの原産地は中央アメリカや南アメリカの熱帯雨林である。
花の色は赤や白、さらにピンクやマゼンタもあり、人の気持ちを揺さぶり、高揚させることから、この花は情熱の花、魂の花とも呼ばれている。

2015年、宮崎空港ビルで育てている品種から発見された、従来よりも一回り大きいブーゲンビリアは、同社社長の名前にちなみ、「エリザベスアンガス章太郎」と名付けられた。

花言葉は、
赤色~情熱
ピンク色~魅力
白色~素敵

ブーゲンビリヤ(エリザベスアンガス章太郎)

高島呑象(たかしまどんしょう)の天才性 その4

1 牢獄の暴動から逃れる方法(六変筮法)⇒天澤履の水風井に之く
⑴ 状況
日本国内から金の流出が止まらないため、信用不安、貨幣価値低落・物価上昇により人々の生活が苦しくなったことが幕府滅亡の一因とも言われる。呑象先生は今でいうなら通貨の安定を目的とする外為法(がいためほう)違反で幕府に捕えられたが、一人で罪をかぶって入牢した。

以下は、牢内で脱獄への加担を強要された時に助かる方法を占って出た卦である。
真っ暗な牢内で暴動が起きた時に、天井から吊り下げられている、道成寺と呼ばれていた大きなカゴに飛び乗って一晩中動かず殺し合いをやり過ごし命拾いしたのである。
道成寺はまさに井戸の釣瓶のようにロープで上げ下げして使っていたのである。
易によって命を助けられた事例である。
天澤履が出たことにより呑象先生は命が助かることを確信したであろう。
問題は、水風井である。牢内に井戸などあるはずはないではないか。
易は井戸の釣瓶にことよせて頭の上の道成寺を教えていたのである。

⑵ 本卦~天澤履
天澤履の卦辞は、
虎の尾を履むも人を咥わず。亨る。
(とらのおをふむもひとをくらわず。とおる)

現代語訳は、
(虎の尾を踏むが、虎は人をくわない。危険から脱出できる)
これをもって、呑象先生は命が助かることを確信したであろう。

⑶ 之卦(しか)~水風井
水風井の卦辞は、
井は、邑を改めて井を改めず。喪う无く、得る无し。往来井を井とす。汔んど至らんとして、亦未だ井に繘せず、その瓶を臝る。凶なり。
(せいはゆうをあらためてせいをあらためず。うしなうなく、うるなし。おうらいせいをせいとす。ほとんどいたらんとして、またいまだせいにつりいとせず。つるべをやぶる。きょうなり)

 

ブラ高野~重力波天文学の挑戦

重力波天文学は、ビックバンにより発生した重力波(衝撃波)を観測して、宇宙創成の謎を知ろうとする試みである。
宇宙の始まりは、光も電波も届かないほどガスがかかり、光学望遠鏡でも電波望遠鏡でも観ることができないので、今もって明らかになっていない。
100年前にアインシュタインが重力波の存在を予言したとおり、記念すべき2015年9月14日、13億光年前に二つのブラックホールが衝突、合体したときの重力波をLIGO(ライゴ)によって人類は初めてとらえることができた。
重力波検出に成功したアメリカの研究者3名はノーベル物理学賞を受賞した。

LIGO(ライゴ)は、2017年にも30億光年彼方の重力波検出に成功しており、138億光年前、なぜ特定の一点が大爆発しなければならなかったのか、ビックバンはなぜ起こったのか、宇宙の根源解明まで目途(もくと)がついたのはまぎれもない。

地震をはじめ風、雨、雪などの音波や電磁波ではなく、原初宇宙における時間と空間の巨大な歪(ひずみ)をレザー光線を利用して、揺らぎとして精確に見極める重力波望遠鏡は、次の通り世界で四箇所に設置されている。

LIGO(ライゴ)~アメリカ2台(ワシントン州及びルイジアナ州)
VIRGO(ヴィルゴ)~イタリア1台(ピザ)
KAGRA(カグラ)~日本1台(岐阜)

 

高島呑象(たかしまどんしょう)の天才性 その3

1 将来の見通し
⑴ 状況
呑象先生は、商品の購入で金貨である小判を外国商人に支払い、商品の売却では海外に比較して日本国内では3倍の価値がある銀貨を受け取っていた。
小判で支払いを受けた外国商人は、これを鋳つぶして金塊として国際市場で売却し利益を上げていた。
海外では金高、銀安だったのである。当然国内から金がなくなるので、幕府は、小判の売却を闇取引として禁止していた。
金の闇取引が発覚したため、北町奉行所へ自首する前に、今後について占うと、地雷復の上爻であった。

上爻辞には「十年に至るまで征する克わず」と書いているが、呑象先生は、「確かにこの失敗を取り戻すには10年かかるであろう」とうなずいた。
ただし、変爻すると、山雷頥の上爻である。

変爻辞は、
六爻 由りて頤わる。萬うけれども吉なり。大川を徒るに利ろし。
(よりてやしなわる。あやうけれどもきちなり。たいせんをわたるによろし)

現代語訳は、
すべてのものを養い、頼りにされる。任重くして艱難(かんなん)が多いが、吉。大いなる喜びがある。大河を渡るような危険を犯しても、順調に行く。

⑵ 結果~地雷復の上爻
地雷復の卦辞は、
復は、亨る。出入疾无し。朋来たりて咎无し。其の道を反復し、七日にして来復す。往く攸有るに利ろし。
(ふくはとおる。しゅつにゅうやまいなし。ともきたりてとがなし。そのみちをはんぷくし、ななじつにしてらいふくす。ゆくところあるによろし)

現代語訳は、
復は、通る。出るにも入るにも障りはない。友人が集まってきて問題ない。その道を繰り返して行えば、七日で事態が改まる。進んでもよい。

上爻辞は、
復に迷う。凶なり。災眚あり。もって師を行れば、終に大敗あり。その国君に及ぶ。凶なり。十年に至るまで征する克わず。
(かえるにまよう。きょうなり。さいせいあり。もってしをやれば、ついにたいはい     あり。そのこくくんにおよぶ。きょうなり。じゅうねんにいたるまでせいするあたわず)

現代語訳は、
正道にもどることを忘れて、迷う。凶。それは特に君たる者の道に反する。人災、天災こもごも至るであろう。軍を出せば、大敗を喫し、災いは君主自身にまで及ぶ。十年を経ても雪辱はかなうまい。

⑶ 国内外の金銀交換比率
幕末の日本国内と海外の金銀交換比率をみると、日本国内では金と銀の交換比率は1:5、海外では1:15、金1グラムの価値は、日本国内では銀5グラム、海外では銀15グラムと等しく、即ち日本国内では海外に比較して銀が高かったのである。銀の国内価格は海外の3倍であった。前述のように、日本商人は外国から商品を購入する時は、金で支払い、商品の売却では銀を受け取っていたのである。
このため、日本国内から金が流出し、インフレの要因となった。
日本の戦国時代16世紀中頃の銀価格は、銀1両(約40グラム)が国内では銅銭250グラム、同じ重さで明では銅銭750グラムであった、という。戦国時代からの金山開発によって、日本国内では銀高、金安が続いていたのである。
(「週刊文春平成30年11月15日号 出口治明の0から学ぶ日本史講義」参考)

TOPページ

ページの先頭へ