東京から先輩が来られたので、JR博多シティ9Fの華都飯店(シャトーハンテン)で同窓会がありました。
ゆっくり落ち着いて食事ができ、料理もおいしく、値段も高くありませんでした。
学校を出てから40年以上たっています。
過ぎてしまえば、あっ、という間もないかもしれません。
長いと思えば長い、短いと思えば短い、という時間が持つ主観的な属性に驚かざるを得ません。
監獄(その2 )
グリニッジビレッジのプリンセス街までやっとの思いで着いたら、昼寝に2階へ上る午後1時間の休憩を除いて、朝8時からほとんど深夜まで働きづめ、そして水曜日になると店を閉めて少し寝たあと、夜中に一人で映画を見に行くのだ。
もう駆け引きには疲れていたのだが、シンジケート組織が近所の店に置いていたパンチボードをこっそり入手して小遣いを稼ごうとしたことが一度だけあり、その分け前をローザに内緒で貯め込んで55ドルになっていた。
しかし、そのあとシンジケート組織が新聞に書き立てられ、パンチボードは全部撤去されてしまった。
ある時、ローザが実家に帰っていた時だが、いい機会なのでずっと置いておくとけっこういい金になるスロットマシーンをかわりに入れたことがある。
もちろん隠せるとは思っていなかった。
だから彼女が戻ってわめき始めても今度だけはどなり返さず、5セント白銅貨を入れると、悪くてもはっか菓子が出て来るから博打じゃないだ、と釈明した。
もしも客が思いがけず2,3ドルでも儲けたら、テレビを買う足しになるので、酒場まで行かなくてもボクシングの試合が見れるのだと説得したが、ローザは泣きわめき、ちょうどその時彼女の父親が、おまえが悪いんだとどなりながらやって来て、鉄管工事に使う大きなハンマーで機械をたたき壊した。
翌日、警官隊がスロットマシーンを置いている店を捜索し、お客さんを逮捕して公表した。
トミーの店は近所でスロットマシーンを置いていたたった一軒の店だったけれども、彼は長い間このことを後悔した。
掃除をするためにローザが2階に上がっているので、朝は一日のうちで一番気分のいい時であり、昼まで客がほとんど来ない間は、爪楊枝で歯をせせり一人でゆったり座って、ソーダ水の台にニューヨーク・ディリー・ニュースやディリー・ミラーを広げて目を通すか、その日走る競走馬のことや最近福引きがかなり儲かるので、ばくちへ行く途中でたまたま通りかかった昔のセラークラブ仲間と馬鹿話をするのだった。
でなければ、座り込んでコーヒーをすすりながら地下室に隠している55ドルを貯めるのにどんなに長くかかったか、を思いうかべるのだ。
空と無は全く別の概念です。
空は、世界を関係性(仏教用語では縁起という)によって存在する現象として把握し、その真実性、普遍性を認めず、苦悩から解放されるため、古代インドの天才たちが発見した認識論です。
あると思えばある、ないと思えばない、というのではなく、世界は、現象としては確かにあるのだ、とみます。
ただし、眼に見えるものは、偶然の関係性をもとに生まれた現象にすぎないと考えます。
例えば、生命の誕生と消滅を例にすると、生も死も偶然の所産であると考えると説明に困ることはありません。
空の思想には、苦悩の原因であり、しかし仮の姿であり、偶然の関係性にすぎない現象に惑わされたり、悩まされたりすることなく、しっかり生きていくのだ、という応援メッセージが込められているのです。
短編小説シリーズ第2弾「監獄」をお送りします。
主人公のトミー・カーステリは、人生は監獄だ、と思っているようです。
監獄(その1)
トミー・カーステリは考えないようにしていたけれど、29歳になるまでの人生は叫び出したくなるほど退屈だった。
しかし、そのすべてが妻のローザや、セントで教えるようなわずかな金儲けのために開いている店、あるいは耐えられないくらい客足が鈍い時間、そして駄菓子屋、煙草、ソーダ水を売るのにつきもののきりのないおしゃべり、のせいというのではなかった。
この胃がむかつくような気分は、昔の失敗、ローザがまだトニーをトミーと呼び変えていない時に誤って罠にかかったためである。
トニーと呼ばれていた時は、夢や将来への設計がいっぱいあり、例えばそれは、アパートが建て込み子供が泣きわめく、みすぼらしいこの土地から出て行くことだったが、何もかも駄目になってしまった。
靴職人になるために、と両親から入れえられた職業訓練所を十六歳の時にやめて、グレーの帽子をかぶり足裏のうすい靴を履いた少年たちと一緒になってぶらぶらし始めたが、彼らはあり余る時間と金を持ち、地下室のクラブでぶ厚い現金の束を見せびらかして、見た者はびっくりして目を丸くするほどだった。
銀のエスプレッソ専用コーヒーの湯沸かしやテレビを買えるような子供たちで、その上ピザパーティーを用意して女の子を呼び集めるのだ。
いまのこの苦痛が始まったのは、彼らやその車と関わりを持ち酒屋に強盗に入ったことからだ。
運が良かったのは、、石炭や氷を扱う彼らの主人が土地の有力者と知り合いで、事件を二人でおさめてくれたので、あとになっても、とやかく言われることはなかったことである。
当時は何が何だがわからなかった―何もかも混乱していてうんざりしていた―おやじがローザ・アグネロの父親とこっそりある取引をしたのだが、その内容というのは、トニーが彼女と結婚したら義理の父親がもっとまともな生活をさせるのに、自分の貯金で駄菓子屋を持たせる、というものだった。
彼は駄菓子屋には唾もひっかけようとはせず、そして身体に関する好みから言うと、ローザはひどいブスのくせにひょろっとやせた女だった。
そういうこともあってテキサスから逃げ出し、ずい分長い間めっちゃくちゃな生活をして、戻って来た時、あんなふうになったのはローザと駄菓子屋のせいだ、という噂も立ったが、結局いやだとも言えず、いいなりになってすべてもと通りになった。
~続く~
占い師は、占いに専念するのが仕事です。
私が数珠を使うのは、その音によって瞬間的に精神力を高め、気力を集中するためです。
お祓いは、結界を張っている寺社の神官か僧侶にご相談下さい。
結界は、眼に見えませんが、見分けるコツはあります。
境内に入った時に、本殿を中心にぐるりと見回しながら第六感を鋭く働かせて下さい。
澄み切ったような清々しさ、そして心地良い清浄な質の空気を感じれば、結界で邪気を遮断している聖地、と思ってほぼ間違いないでしょう。
万一、気味の悪さや何とも言えない暗さを感じた場合は、妙なものを封じていることがあるので、すぐに退散して下さい。
歴史上の出来事を年代順に垂直軸で読むとわかったような気になるものの、歴史が教える原則を読み落とすことがあります。
難しいことではないので、実例をご紹介しましょう。
日本の進路を決定し、世界史にも影響した四つの大乱をわかりやすく西暦年で古い順から挙げていくと次のようになります。
672年 壬申の乱 東軍勝利
1185年 源平合戦 東軍勝利
1600年 関ヶ原の戦い 東軍勝利
1868年 明治維新 西軍勝利
それがどうした、となりますが、戦いの結果に着目すると、東軍3勝、西軍1勝で日本列島の地図を開いてみれば、内乱は、東と西という地域間の闘争史であることに気づきます。
日本の歴史は、実は東京をはじめとする関東圏(東日本)と大坂・京都を筆頭とする関西圏(西日本)の覇権争いでもあるのです。
内乱が終息するたびに、関東圏の優位性が強くなっているようです。
東の都知事と西の大坂市長が組むのは、東西の対立という日本史の原理が今でも有効であれば、支持者にはお気の毒ですが、新しい政党は長くは持たないでしょう。
歴史を見る眼を持たない悲劇が始まります。
山田 正紀氏は、小説「神狩り」で、神は、人類に悪意を持った存在である、という新鮮で、しかし真摯な信仰者が読めば卒倒しそうな驚くべきテーマを提示しています。
特にコンピュータの解析能力が神の正体を追跡するシーンは秀逸で、称賛の言葉がありません。
40年前に発表された作品ですが、弱冠23歳の青年が想像力だけを手掛かりに書ける内容とは思えないのです。
早熟の天才である芥川 龍之介さえ「芋粥」や「鼻」を発表したのは、24歳の時です。
別にモチーフがあったのではないか、とみるのは、その続編が深刻にして重大なテーマを深めるわけではなく、ただの荒唐無稽、平凡なスト―リ展開に終始しているからでもあります。
ユダヤ教の発生地である中近東を放浪していた時、何があったのでしょうか。
今から413年前、西暦1600年、石田治部少輔三成は、関ヶ原の戦いで笹尾山に陣取り、「大一大万大吉」の旗印を立てて奮戦しましたが、小早川秀秋の裏切りが直接の原因で敗北し、斬首されました。
「大一大万大吉」は、一人が万人のため、万人は一人のため尽力すれば天下大吉、という意味だそうです。
「大」「一」「万」などという吉のパワーが強い文字を六つも書いた旗印で出陣すると、次の局面では激しい揺り戻しが凶を呼び込む、という見本のような事例です。
変化と反変化の循環作用により、振り子のようにバランスをとる力が吉から凶へ、また凶から吉へと繰り返しかつ絶え間なく働き、神とか宇宙とかややこしいことを言わなくても、事態は、予定調和の世界を目指して収束していくのです。
天下大吉という気持ちはわかりますが、戦闘に臨んでこの旗印は不吉というほかありません。
それにしても負け方が悪い、五分の引き分けは無理でももう少しまともな負け方があるだろう、と思うものの、先人の奮闘に敬意を表して評価は控えなければなりません。
正岡 子規(慶応3年~明治35年)に明治33年の句会で発表された
「鶏頭の十四五本もありぬべし」
という俳句があります。
庭の鶏頭を詠んだだけでどうということはないようですが、不治の病に罹った病人が赤い鶏頭を眺めている情景を思い浮かべると、この俳句が持つ生命力の発露に気づきます。
正岡 子規は、当時としては治療法がない脊椎カリエスに罹患しながら、激しい痛みの中で、感情をあらわにせずにさりげなく自分の生命力を庭に咲く鶏頭に託して詠っていることがわかります。
この俳句の前では、万葉集の山上 憶良はもちろん、芭蕉や吉本 隆明さえ小さく霞んで見えます。
持ち味が違うので、比較は無意味と思いつつ、この俳句によって、正岡 子規は、万葉から現代まで日本第一の詩人であると言わざるを得ません。