福岡県庁跡地に建っているアクロス福岡(福岡市中央区)は、地上14階、地下4階、延床面積約97000㎡、福岡県と民間が同居した商業施設です。
この建物の特徴は、南の天神中央公園と一体となったランドスケープを構成しているステップガーデンです。これは、「山」をコンセプトとした大規模な屋上緑化で、展望台に登りながら四季の植物を楽しむよう設計されています。
開業して25年、ようやく南国福岡の都市景観になじんできたようです。
日本運命学を切り開いた先人をご紹介しましょう。
易占学、九星気学では
~高島呑象(たかしまどんしょう、1832年~1914年)
「易は中国に興り中国に亡び而して今日、日本に興れり」という李鴻章の讃辞が記念碑として泉岳寺(東京都港区)に残っています。
~黄小娥(こうしょうが、1913年~不明)
「易入門」(黄小娥著)は物語としても楽しめる名著です。
~高木彬光(たかぎあきみつ、1920年~1995年)
小説家ですが、易、九星気学への造詣の深さには驚きます。
観相では
~水野南北(みずのなんぼく、1760年~1834年)
食と運勢の関連に着目、慎食の思想を実践し、一生米食をしなかったといいます。
手相では
~門脇尚平(かどわきしょうへい、1934年~不詳)
手相術の名人
姓名判断では
~熊崎健翁(くまさきけんおう、1882年~1961年)
家相では
~冨塚崇史(とみづかたかふみ、1947年~)
相性判断(高木彬光著)は、相性(あいしょう)についての詳細な考察ですが、驚くことに相生(そうしょう)と相剋(そうこく)の関係は8割程度該当しています。
※抜粋
「いま述べたように九星という概念は、方位の感覚から発生したものですが、これに対して五行という概念は、古代中国人の素朴な自然観、宇宙観から発生したものだと言えるでしょう」
「この相性を論じる場合には、九星には方位の感覚がなくなっています。その概念が発生したきっかけからは完全に離れ、一人の人間の運命を支配する宿命の星と考えら れるのです。言いかえるなら、すべての人間は、生まれた瞬間から、この九つの星の うち一つを背負って一生をすごしてゆく宿命にあるのだーと考えて下さい」
「人間の手の指は左右に五本ずつ、合わせて十本です。これが現在の数を数える基本である十進法の基礎になっているということは、現代の数学者さえ一致して認めていることです」
「古代の中国人にしても五、十という数にはひじょうに特殊な意味が含まれていると考えたのもとうぜんです。
『五行』の考えはここから生まれたものと推定されます」
「さて、この五行に対して古代の中国人は、次のような性格を与えました。
木(もく)~発生、成長とその作用
火(か)~発展、拡大とその作用
土(ど)~変化、変形、固定の作用
金(ごん)~成熟、安定とその作用
水(すい)~分解、浄化とその作用」
「方位学入門」(高木彬光著)は、方位の意義をわかりやすく説いた入門書ですが、方位の専門家でも必読の書といっていいでしょう。初歩から上級までもれなく語り尽くしています。
※抜粋
「“地の星”とか“方位の星”とかいう考え方は、古代から高度の文明を持っていた中国大陸の人々のあいだに、何千年もまえから、だれ言うとなく浸みわたっていた考え方でした」
「天に方位の道しるべとなるような星があるように、地にも、地上を支配して方位を定める星があるという考えになって表れてきたのだとも言えるでしょう」
「“地の星”、つまり“方位の星”が存在しているとすれば、それはとうぜん、東、西、南、北、北東、東南、南西、北西の八方に分布しているはずです。それに自分が現在立っている中央を加えて合わせて九つーむずかしい理屈をぬきにすれば中国の『九星』の概念がこうして誕生したものであることは、まずまちがいありません」
「本命星の入っている方角は、『本命殺』と呼ばれ、家出人などの場合も、家をとび出してから最初に向かう方向は、この方角が圧倒的に多いようです」
「易の効用」(高木彬光著)はプロ向きの解説書で、易経の意味を解いた高木彬光氏の学識は並たいていのものではありません。
その学術的価値は、丸山松幸先生の「易経 中国の思想 Ⅶ」に匹敵するといってもいいでしょう。
※抜粋
「人生の幸福は、情熱の中にある。これは、運命学の研究を続けること二十年にしてようやく私の到達できた信念である」
「この要素は、『勢い』を利用するという一言に尽きるのである」
「それでは、勢いというものは、どのようにして悟るべきだろうか?」
「『易経』という聖典は、人生の勢いを教えてくれる人間最高の智恵の結晶である」
「このような情熱と勢いの相互関係を、易経の中に求めて行ったときに、『出処進退』という言葉があらわれて来る。出処という二字は出るか居るか、積極的に行動するか、黙って行動に出るのを見送り、静かに事態を見守るか、この二つの態度をいいあらわしたものである」
明治17年(1884年)に浅草公園が7区画に分けられたことで浅草公園六区という地域が浅草寺(せんそうじ)の西側一帯に誕生しました。
通称浅草六区といいます。
浅草オペラで有名な常盤座が明治19年に開場し、7年後には日本初の活動写真(無声映画)を見せた電気館がオープンしました。
その後、次々と建てられた劇場、映画館、寄席で芝居、落語、浪曲、オペラ、レビューなどが上演され、浅草六区は日本一の興行街へ成長しました。
喜劇の榎本健一や古川ロッパ、渥美清、コント55号、ビートたけしら多くのスターを生み出したものの、平成24年には最後の映画館も閉館し、今では浅草演芸ホールと東洋館(旧フランス座)ほか二、三の劇場が残っています。
10年前までは、朝から吹きっさらしのテーブルで酒盛りをしている正体不明のおじさんや浅草でしか見られない、真っ黒で年季の入った乞食(こじき)があちこちにたむろするような危うい街のミステリアスな不思議さがありましたが、再開発が完了した現在、面白くもおかしくもないただのストリートが広がっています。
高木彬光(たかぎあきみつ)氏は、1920年生まれ、推理小説家として「白昼の死角」や「刺青殺人事件」というミステリアスな作品で知られています。
易や九星気学に造詣の深い同氏の著書から抜粋してシリーズでご紹介しましょう。
「占い人生論」(高木彬光著)は、占いの意義について語った初心者向きの指南書ですが、読者は、自分の人生についてもドキュメンタリーを読むような未知の世界が広がっていくのを実感するでしょう。
※抜粋
「運命学は、決してメイファーズというあきらめの心境を教える学問ではない。人間に一倍の努力を要求し、ただその努力を、どういう方向に向けたら、最大の効率をあげられるかを教える学問なのである」
「占いの名人にめぐり会えるかどうかには、その人の運が関係している」
「ただそれほどの大名人なら、ほんとうに開運を求める相手に対しては、その本人が持っている力と運とを、ぎりぎりのところまでひき出し、それを最も効率的に発揮できるような方法を教えてくれるものなのだ。
占いというものは、ここまでくると、ただのあてものという行為からはなれて、進んで人生の幸福を獲得する道に直結して来る」