阿波おどりは、阿波の国(徳島県)を発祥とする盆踊りの一つで三味線、太鼓、笛など鳴り物にあわせて、右半身と左半身を交互に出すナンバ歩きを使って、1,2,1,2の二拍子で前進します。
男踊りは、爆発的なエネルギーによる迫力と滑稽感が持ち味で、対して女踊りは、深くかぶった編笠があやしい魅力を感じさせるという不思議な踊りです。
阿波おどりは、関東をはじめとして全国に広がり、連(れん)と呼ばれるグループ単位で参加できます。
徒然の記
ブラ高野~阿波おどり
ブラ高野~河伯洞
北九州市若松区白山に火野葦平旧居である河伯洞という記念館があります。
河伯は、河童のことなので、河伯洞といえば河童が住む家という意味になります
火野葦平氏は、明治39年生まれ、出征中に書いた「糞尿譚」で芥川賞を受賞したことがきっかけとなり、猛烈な創作活動を始めたようです。
糞尿譚という小説は、タイトルはともかく、面白く楽しい内容です。
火野葦平氏が人間好きだったせいか、河伯洞では、今でも毎月茶話会や映画会、読書会があり、北九州市の文化活動の拠点となっています。
館内にはもう見ることのできない石炭の原石をはじめとして、港町若松を思い出させる人形などの展示物も飾られています。
ブラ高野~聖橋
九星同会法
同会法は、後天定位盤の上に年盤、年盤の上に月盤、月盤の上に日盤、日盤の上に刻盤を重ね合わせ、運勢を予測する手法です。
年運を出す場合は、上にある年盤の本命星が下の後天定位盤のどこに位置するか、どこに重なるか調べて判定します。
例えば本命星七赤金星の人の年運は、年盤を後天定位盤の上に乗せ、年盤の七赤金星が下にある後天定位盤のどの星に乗っているかを調べると、平成27年は、九紫火星の上に乗っているのがわかります。
この場合、九紫同会あるいは離宮同会といいます。
すなわち、平成27年は、七赤金星が火炎、華麗、露見、離合集散を象徴する離宮(りきゅう)にかぶさりますが、離宮は、陰が陽と入れ替わる位置なので、表面的には華やかですが、心理上は、むなしさを感じ続ける年になります。
露見の作用が働くので、秘密にしておきたいことがあらわになったり、善いことも悪いことも表面化し、万事はっきりと明白になります。
社会運では、今年は、年盤の中心部に位置する三碧木星に震の意味があるので、自然現象としては地震や火山の噴火、大暴風雨等日本だけでなく地球規模で多発する年になりそうです。
なお、大きな音を出す音楽や電波に関係するもの、色では青色の装飾品や紺系統の大柄模様の服が流行するでしょう。
ブラ高野~旦過市場
ブラ高野~かっぱの河太郎
上方落語の語り口で淡々と書いている怪異集の名作「新耳袋」には河童の目撃譚が載っていますが、ここ合羽橋道具街の地下を流れる新堀川の開削工事を手伝ったといわれるかっぱの河太郎は、身長1.5m、堂々とした金色の立像です。
合羽橋道具街は、東京都台東区浅草寺から国際通りのすぐ西側にあります。
和・洋・中華食器や食品サンプル、厨房機器等店舗装備品を扱う170の専門店が言問通りまで南北800メートルにわたって連なっています。
東京下町の気取らない空気があるのでゆったりできて、買い物の楽しさを満喫できる歩きやすい街です。
調理、厨房備品に関するものなら何でも揃うといわれるだけあって、行っても行っても同じようなお店が続くのは、かつては日本各地にあった職人町の名残りでしょうか。
太極の実体(その2)~素粒子論より
6 陰陽二元論の破綻
万物の実体は陰と陽から成り、陰と陽は対立、融合しながら、循環、変化している、という陰陽二元論は、陰も陽も、便宜上の区分で、両者は、混沌として一体となり宇宙の根源であるとする認識論の一つです。
しかしながら、前回までの話で、太極の一歩手前にある陰と陽は、相互変換性も相互鏡面性もなく、素粒子レベルでは、宇宙創成直後に陽である反物質が消滅していることがわかりました。
陰陽二元論の破綻は、「対称性の自発的破れ」という理論でも明白です。
7 対称性の自発的破れ
力学上、かりに動の状態を対称性があるとして陽、静の状態を対称性の破れとして陰を配当します。
日常生活は、対称性と非対称性によってささえられ、陽と陰の連続展開によって成り立っているのは間違いありません。
ところが、素粒子には、非対称性という陰の現象しかないのです。
因果律の支配を受けずただそうなっているだけ、という非対称性を「対称性の自発的破れ」ともいいます。
1960年、南部陽一郎氏は、素粒子論に対称性の自発的破れという概念を導入し、重さが0に近い素粒子がなぜフラフラ動き出さないのか、動かないことこそ対称性の自発的破れがある証拠であり、宇宙のルールである、と見破ったことが他の素粒子を動けなくして重さを持たせるヒッグス粒子の存在を予言するきっかけとなりました。
上下、左右、前後がなく、西もなければ東もない、非対称のアナーキーな世界を宇宙と呼びます。
では太極の実体はどこにあるのか。
8 素粒子論の進化
従来の量子論では、素粒子を無限に小さい0次元の点と考えていたため、思考停止状態になり理論の意味をなしませんでしたが、超弦理論は、素粒子は物質でありながら、ひものような振動状態でもあると把握したことにより、飛躍的に進化し、現在では時間が機能せず空間の歪みでもあるブラックホールをはじめとして別の宇宙の存在を予言するブレーンワールド等を統一的に記述する仮説となる可能性があります。
9 9次元の世界
超弦理論における最も重要なポイントは、素粒子は次元の世界を持つ、奇妙なひもである、という認識です。
3次元は理解できますが、では残りの6次元とはどういう様相なのか。
素粒子モデルは、多様体として曲がりくねったり、折れ曲がったりして振動していますが、素粒子に張り付いている謎の6次元を3次元に引き写し、整合性に基準を置きながら、時間と空間を解析し次元の世界を正確に叙述することが超弦理論の課題となっています。
この作業が終了したときに、私たちは太極の実体にかすかでも触れることができる、と期待していいでしょう。
実験で検証できず疑問である、というしごく当然の意見もありますが、未来には小賢しい知恵で測れないパワーがあるので、今のところ理論先行、仮説で充分です。
10 超弦理論の行方
占い師としての直観がしきりに告げています。
超弦理論の行方を注視せよ、と。
全世界の理論物理学者が挑戦を続けています。
10次元と考えられていた素粒子は11次元の世界に存在しているのだ、と追加修正したM理論が登場して20年がたっています。
太極の実体がぼんやり姿を見せるまであと20年はかからないはずです。
M理論~超弦理論を補強し、包括し、根拠ともなった革命的理論
ヒッグス粒子~スイスの実験施設で2012年に実在が確認された。
(このブログは、宇宙をわかりやすくとらえるため、「質量」や「電荷」、「粒子性」、「双対性」といった専門用語の使用を避けています。)
太極の実体(その1)~素粒子論より
易経の注釈書にとどまらず、優れた思想書でもある繋辞上伝(けいじじょうでん)では、太極について、次のように書いています。
「この故に易に太極あり。これ両儀を生ず。両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず」
易占学では、宇宙の根源を太極という概念で説明しています。
これは三百八十四種類の爻(こう)から大成卦(六十四)へ、大成卦から小成八卦(八つ)へ、小成八卦から四象(四つ)へ、そして両儀である陰陽(二つ)、太極(一つ)へと収斂していく、とさかさまに読みとることもできます。
では、太極とは何か、真実などと同じ単なる概念と思うものの、物質を究極まで分割した素粒子を調べれば実体がわかるかもしれない、あるとすれば形や働きはどうなっているのか、調査の手がかりを宇宙に求め、太極の本質を探究したプロセスをシリーズでご紹介しましょう。
1 素粒子の大きさ
素粒子は、物質の最小単位で、その大きさは、一万兆分の1cmです。
ちなみに細菌の大きさは、1万分の1cm、ウイルスは、50万分の1cmです。
2 素粒子の普遍性
物質のかけらであり、波動でもある素粒子は小さすぎて目に見えないだけで、全宇宙に、私たちが生きている空気中にも、またブラックホールの底にも熱を持ったまま溜まり、果ては秒速30万kmという光の速さで137億年かかるといわれる観測可能な宇宙の限界までびっしり充満しています。
3 物質と反物質
宇宙を理解するためには、物質と反物質への認識が欠かせません。
原子を占有するエネルギーである電子がマイナス電気を持っている状態を物質といい、電子がプラス電気に帯電している状態を反物質と呼びます。
4 反物質の消滅
物質にはマイナス電気の陰、反物質にはプラス電気の陽を配当することができます。
宇宙創生時につくられた物質と反物質は、直後に衝突し、巨大なエネルギーとなって消滅したものの、物質が数量、寿命ともわずかに反物質を上回っていたため、我々が生存できる物質世界ができました。
5 陰陽のアンバランス
宇宙空間では、反物質が残存している可能性がありますが、少なくても地球上では物質しか残っていません。
反物質が消滅した現象をややこしくCP対称性の破れ、などといいます。
近代物理学の時代も含めて長い間、陰と陽は、同質、同量、同数であり、同じものの裏表と考えられてきましたが、素粒子論では、陰と陽の同質性、同量性、均衡性は、歳破どころか宇宙創成直後に崩れていたことがわかります。
※Cは物質と反物質の相互変換性 Pは物質と反物質の相互鏡面性をいう。
※歳破~方位学では、その年の十二支の反対側を物事の破れを意味する歳破という。
ブラ高野~巣鴨地蔵通り
新感覚派~日本文学史の栄光
新感覚派は、ジャーナリストの千葉亀雄が新しい言語表現に着目し、「新感覚派の誕生」と発表して以来、大正後期から昭和初期にかけて流行した文芸刷新運動です。
代表作として、横光利一の小説「頭ならびに腹」は、大人の童話あるいは長詩として読むと面白く、新感覚派としてふさわしい小品なので、その特徴あるセンテンスを抜き出してみましょう。
⦿最上級単語の連続
「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。」
わずか1行のうちに、真昼、満員、特別急行列車、全速力という最上級単語で列車のスピード感を存分に伝えています。
⦿擬人法
「野の中に名も知れぬ寒駅がぼんやりと横たはつてゐた。」
「列車は目的地へ向つて空虚のまま全速力で馳け出した。」
⦿比喩
「沿線の小駅は石のやうに黙殺された。」
「いつも 海辺に 誰かがみえる。街は いつまでも あの星である」というようなフランス詩の影響下にあるとはいえ、横光利一の天才性を十分に感じることができます。
当時の読者は、日本語表現の斬新な印象に驚嘆したでしょう。
横光利一や川端康成らの新感覚派は、自ら新感覚派という呼称と言語形式に束縛され、日本文学の潮流として残ることなくうたかたのように消滅したものの、象徴性や擬人法の多用が日本語世界の可能性を広げたという実験的な意味で長く記憶されるべきでしょう。



















