九州ではまだ冷たい風が吹き肌寒い日もあるが、春は、若葉の色がみずみずしく映える季節でもある。
春は方位でいうと、朝陽が上る東である。
東は十二支では卯(う)、九星では三碧木星、八卦では春雷で象徴される震、また一日のうちでは朝、時間は午前6時、一年では3月、つまり東は、物事の始まりを意味しているのである。
徒然の記
ブラ高野~春たけなわ
人間探求~姓名判断その1 石田三成の場合
西暦1600年、石田三成は、関ヶ原で徳川家康と戦うも敗北、斬首された。
三才五行の基礎運が教えるように、生涯の最後は「急変没落(きゅうへんぼつらく)」となったが、この人は、最後まで豊臣家を守り抜こうとした正義の人である。
・五格部算定(数理の吉凶)
人格(主運) 8画 意志堅固~吉
地格(前半運) 10画 空虚逆難~凶
総格(後半運) 20画 厄難凶禍~凶
外格(副運) 12画 薄弱無力~凶
天格~名字は先祖伝来であるので評価しない。
五格部算定では、吉一つ、凶三つである。
・三才五行の吉凶~天格10画、人格8画、地格10画
成功運 何事も意の如(ごと)く万事順調目的を達成す。婦人にも吉祥~ 吉
基礎運 苦しむ可(べか)らざるに苦しむ、急変没落(きゅうへんぼつらく)の悲運あり~凶
三才五行の吉凶では、吉凶一つずつである。
ブラ高野~石炭会館
観相の偉人 水野南北の軌跡(きせき)
1 観相との出会い
観相の偉人である水野南北(1760年~1834年)は、幼い頃両親を失って孤児となり、親戚に引き取られるが、10歳の頃から酒を飲み始め、喧嘩ばかりしていたという。
18歳で酒代欲しさに悪事をはたらき牢屋に入った時に、入牢者の人相について興味深い事実に気づいた。
罪人として牢の中にいる人の相と、普通に生活している人の相の間に、明らかな違があることに気づくのである。
これがきっかけとなり、水野南北は観相に関心を持つようになった。
2 剣難の相
牢屋を出た後、水野南北は、当時大阪で名高かった人相見を訪れ、自分の相を見てもらった。
すると、「剣難の相であと1年の命」と宣告されてしまった。
助かる方法はあるかと尋ねたところ、唯一の方法は出家であると言われた。
水野南北は、稀に見る悪相・凶相の持ち主だったのである。
3 年間の食事
そこで禅寺を訪れて入門を依頼するが、住職はその悪人面を見て断ろうと思い、「向こう1年間、麦と大豆だけの食事を続けることができたなら入門を許そう」と答えた。
助かりたい一心の水野南北は、この条件を忠実に実行に移す。
冲仲士をしながら、1年間、麦と大豆だけの食事をするのである。
4 観相家への道
麦と大豆の食事を1年間続けた南北は、禅寺の住職のところへ行く途中に再び例の人相見を訪ねてみた。
すると人相見は,「あれほどの剣難の相が消えている。貴方は人の命を救うような、何か大きな功徳を積んだに違いない」と言った。
麦と大豆の食事を1年間貫き通したことを話したところ、それが陰徳を積んだことになって、凶相を変えてしまった、というのである。
これで禅寺に行く必要のなくなった水野南北は、自分も観相家の道を志そうと決めた。
水野南北21歳の時である。
5 勉強の方法
水野南北は、言い伝えや書物で勉強するだけでなく、散髪屋の修業をしながら3年間人相を研究し、続いて全身の相をみるため風呂屋の三助を3年間、火葬場のおんぼうとなってさらに3年間、死体の骨格や体格などを詳しく調べ研鑽(けんさん)を重ねた。
6 慎食
運勢の強弱は食にあり、とひらめいた水野南北は、「我れ衆人のために食を節す」と決意し、生涯にわたって慎食、すなわち少量の食物を大切にしながら食べた。主食は麦、副食は一汁一菜であった。
米は一切口にせず、餅さえ食べず、好きな酒も、1日1合以上は飲まなかったという。
ブラ高野~ココヤシ
高島呑象(たかしまどんしょう)の天才性 その6
1 日本海海戦の勝利を予言
⑴ 状況
日本海海戦(1905年5月)の勝敗を占って、雷水解の上爻「公もって隼を高墉(こうよう)の上に射る。これを獲て利ろしからざるなし」と出たので、日本の勝利を確信した。
日本海軍の勝利を前もって新聞で発表したのは呑象先生らしいエピソードである。
⑵ 結果~雷水解の上爻(じょうこう)
雷水解の卦辞(かじ)は、
解は、西南に利ろし。往く攸无ければ其れ来たり復りて吉なり。往く攸有り、夙くするときは吉なり。
(かいはせいなんによろし。ゆくところなければ、それきたりかえりてきちなり。ゆくところあり。はやくするときはきちなり)
現代語訳は、
西南の方向が利しい。問題なければ元のところに戻って吉。障害となることがあれば早く解決して吉である。
上爻辞(じょうこうじ)は、
公もって隼を高墉の上に射る。これを獲て利ろしからざるなし。
(こうもってはやぶさをこうようのうえにいる。これをえてよろしからざるなし)
現代語訳は、
君主が高い城壁の上にとまっている隼を射落し、獲るので何事も順調である。
ブラ高野~ごんぞう小屋
高島呑象(たかしまどんしょう)の天才性 その5
1 伊藤博文の暗殺を予知
⑴ 状況
伊藤博文がロシアと満州問題を協議するため、ハルビンへと向かう旅の前途を占ってみると、艮為山の上爻(じょうこう)であった。
出張中止を進言したものの、聞き入れられなかったので、「艮」あるいは「山」の字がつく人物を近づけないようアドバイスして送り出した。
しかしながら、伊藤博文は、ハルピン駅プラットホームで3発の銃弾を受け、絶命した。
暗殺犯の氏名は安重根という。
注目すべきは安重根という氏名のうち、根という文字である。
根のつくりである艮は、艮為山の艮であり、さらに「重」という文字は、艮が重なっている有様、すなわち艮為山を表しているとみるのである。
易経は、暗殺犯の名前を示唆していたのである。
三爻辞(さんこうじ)は、まさに銃撃による暗殺の様相を表しているとみた。
一発の銃弾が伊藤博文の腰にがとどまり、もう一発は背骨を貫通したに違いない。
⑵ 結果~艮為山の三爻
艮為山の卦辞(かじ)は、
其の背に艮まりて其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず。咎无し。
(そのせにとどまりてそのみをえず。そのにわにいきてそのひとをみず。とがなし)
現代語訳は、
人の背後にとどまって顔を合わせようとせず、庭先に行っても会おうとしない。咎めなし。
三爻辞(さんこうじ)は、
其の限に艮まる。夤を列く。厲うくして心を薫く。
(そのこしにとどまる。せぼねをさく。あやうくしてこころをやく)
現代語訳は、
じっとして腰を動かさない。背骨が裂ける。迫りくる危険が心を焦がす。
ブラ高野~情熱の花
高島呑象(たかしまどんしょう)の天才性 その4
1 牢獄の暴動から逃れる方法(六変筮法)⇒天澤履の水風井に之く
⑴ 状況
日本国内から金の流出が止まらないため、信用不安、貨幣価値低落・物価上昇により人々の生活が苦しくなったことが幕府滅亡の一因とも言われる。呑象先生は今でいうなら通貨の安定を目的とする外為法(がいためほう)違反で幕府に捕えられたが、一人で罪をかぶって入牢した。
以下は、牢内で脱獄への加担を強要された時に助かる方法を占って出た卦である。
真っ暗な牢内で暴動が起きた時に、天井から吊り下げられている、道成寺と呼ばれていた大きなカゴに飛び乗って一晩中動かず殺し合いをやり過ごし命拾いしたのである。
道成寺はまさに井戸の釣瓶のようにロープで上げ下げして使っていたのである。
易によって命を助けられた事例である。
天澤履が出たことにより呑象先生は命が助かることを確信したであろう。
問題は、水風井である。牢内に井戸などあるはずはないではないか。
易は井戸の釣瓶にことよせて頭の上の道成寺を教えていたのである。
⑵ 本卦~天澤履
天澤履の卦辞は、
虎の尾を履むも人を咥わず。亨る。
(とらのおをふむもひとをくらわず。とおる)
現代語訳は、
(虎の尾を踏むが、虎は人をくわない。危険から脱出できる)
これをもって、呑象先生は命が助かることを確信したであろう。
⑶ 之卦(しか)~水風井
水風井の卦辞は、
井は、邑を改めて井を改めず。喪う无く、得る无し。往来井を井とす。汔んど至らんとして、亦未だ井に繘せず、その瓶を臝る。凶なり。
(せいはゆうをあらためてせいをあらためず。うしなうなく、うるなし。おうらいせいをせいとす。ほとんどいたらんとして、またいまだせいにつりいとせず。つるべをやぶる。きょうなり)







